「死」を語ること。それは、「生」を考えること。

[第9回みみここカフェ イベントレポート]

Screen photo at the start

すべての人の「伝えたい」が歓迎される“スローコミュニケーション”が当たり前の社会を目指す4Hearts。その第一歩として開催しているのが、ダイアログイベント「みみここカフェ」です。

聴こえない・聴こえにくい方々、生き辛さを感じている方々が安心して困りごとを話せる場として、2020年10月より2ヶ月に1度開催を続けてきました。9回目となる今回は、ある参加者の方の発言から、「生きること」「死ぬこと」がテーマに。

あなたにとって、「生」とは?「死」とは?
自分の心と対話しながら、参加者の方々の声に耳を傾けてみてください。

※過去の「みみここカフェ」レポート
【第1回 2020年10月開催】障害をこえて誰もが心通じあえる社会は、つくれる。
【第2回 2020年12月開催】誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。
【第3回 2021年2月開催】ごちゃまぜだからこそ、”自分”がわかる。わかりあえる。
【第4回 2021年4月開催】「あなたのことをわかりたい」。支援する側・される側、その想いが交わるとき。
【第5回 2021年6月開催】「聴こえる・聴こえない」「男・女」じゃなく、「私は私」。”2極の世界”から飛び出して、軽やかに生きるために必要なこと。
【第6回 2021年8月開催】笑顔の先に、あらゆる障害のない社会を見据えて。
【第7回 2021年10月開催】“適度な無関心”が居心地の良い社会をつくる。
【第8回 2021年12月開催】 図々しく生きていこう。その一歩が、“スローコミュニケーション”という文化につながるから。

 

「聴こえないことを逆手に取って」

2022年2月6日、寒さ厳しい今年の冬を象徴するように冷え込んだ日曜日の朝。「みみここカフェ」のオンライン会場には、実に多様な方々が顔を揃えました。4Heartsの活動拠点である神奈川県の方を中心に、遠くは長野県や京都府、愛知県から、さらには、常連参加者の方の小学生のお子さんも初参加。手話通訳者2名、スタッフ4人と挨拶を交わし、まずは自己紹介タイムへ。

 

photo of a smile at the end of Zoom adjustment

  

「対話が好きなので興味があって」「障害者をつなぐ活動ができたらと思って」といった初参加者の声、そして「対話が楽しいので参加しています」「聴こえる・聴こえないを超えた対話ができるので」「私にとって”戻りたい場所”です」など常連参加者の声が心地良く響く中、みなさんの笑顔を誘ったのは、ユミさんのこの発言。

ユミさん:私はみみここカフェに参加することで、耳が聴こえないということを逆手に取って、たくさんの人と出会う機会をいただきました。

「聴こえない」ということが、この場所ではネガティブな特性ではなく、むしろポジティブな出会いのきっかけになる。聴こえる人・聴こえない人の壁を超えた、さらにその先へと場が成熟してきていることを感じる言葉です。

Photo of slow communication introduction sheet
自己紹介後は、4Hearts代表・那須かおりより、スローコミュニケーションのコンセプトや想いについて、
改めてプレゼンテーションをしました。
生きること、死ぬことってどういうこと?

参加者全員が言葉を発し、心が整ったところで、本編となる哲学対話の時間へと進みます。

Photograph of the rules of philosophical dialogue
哲学対話のルール。「みみここカフェ」では、聴覚障害の当事者である代表の那須かおりと一緒に、
誰もが気軽に発言でき、みんなの意見が尊重されるフリートークの時間をたっぷりと取っています。

「どなたか話したい方はいらっしゃいますか?」

司会進行・市川(4Heartsサポーター)の問いかけに手を挙げたのは、ユウさん。お馴染みの参加者さんですが、今回はお子さんのシンくんとともに参加。自己紹介で覚えたての手話を披露してくださり、「男女関係なく人を好きになってばかりいる」というおちゃめな発言も。そんなユウさん、「最近中学生みたいなことを考えるのですが」と、ゆっくりとした口調で話を切り出しました。

ユウさん 生きること、死ぬことってどういうことかな、って考えるんです。私は今43歳ですが、線維筋痛症が悪化して身体のあちこちが痛くて、希望が見えていなくて。人生100年時代って言われると、まだ半分にも達していないんですね。正直、「これまでと同じ分だけまだ生きるの?しんどい!」って思うんです。

でも、自分で命を絶つことは、受け入れてもらえない。それってなんでなんでしょうね?みなさんは、生きること、死ぬことに対して、どんな考えを持っていますか?

ユウさんの問いかけは、初参加の方にとっては驚くような内容だったかもしれません。でもそれをすぐに受け入れ、「ぼくの話をしてもいいですか?」と手を挙げたのはレイさん。レイさんもみみここカフェの常連で、ユウさんとは異なる性的感覚をお持ちの方。ユウさんとは何度も顔を合わせていて、しばしば意気投合するような間柄です。

レイさん ぼくは正直すごく健康なんだけど、小学生の時に「死ぬ」ということを初めて知ってから、「怖いな」「死にたくない」ってずっと思っていたんです。でも中学生の時に、自分が大人になった時にどう生きるのかが全く思い浮かばなくなって。漠然と、「早くお迎えが来てくれないかな」って思っていたんです。でも健康だから、「生きていかなきゃいけないんだろう」ってプレッシャーを感じていて。

だから本当に不謹慎ですけど、「いっそ病気だったら良かったのに」って思っていました。でも何年か前にストレスで自律神経が壊れちゃって起き上がれなくなった時に、「やっぱりぼくは死にたくないんだ、自分を生かしたいんだ」って気づいたんです。

そうやってずっと「死ぬ」ということを考えてきましたが、今は「死ぬことは怖いことじゃない」って思っています。死神さんがいつも側にいてくれて、失敗しても恥をかいても受け止めてくれるから、やりたいことをやればいいや、って。ぼくは恵まれているから本当のところはわかっていないと思いますが、こんなことを思っています。

ありのまま、正直なレイさんの発言に続いて、ユミさんも手を挙げてくださいました。年齢を重ねて難聴になったユミさんも、ユウさん、レイさん同様に常連で、3人はこの場で良く顔を合わせています。

ユミさん:この場でユウさんがあそこまで正直に自分の気持ちを語るということに、私はすごく衝撃を受けています。そして、それにレイさんが正直に応えるということがすごい。気持ちが動揺しています。

Yumi's photo
丁寧に正直な想いを伝えてくださるユミさん。参加者の方々のことをいつも見守ってくださっているような存在です。           

ユミさん 私はユウさんより22歳年上ですが、病気を抱えて生きてきたわけではないので、病気や障害に苦しんでいる人たちがどんなふうに毎日生きているかを想像することしかできない。励ましの言葉をかけることもできませんが、ユウさんには2人のお子さんがいますよね。お子さんたちにとってユウさんはかけがえのない存在だと思うんです。

お子さんのことを考えれば乗り越えられるんじゃないかと期待しますが、その一方で、ユウさんの辛いという気持ちを私がどこまで受け取れているか…。長く生きているといいこともたくさんあるので、ユウさんが私くらいの歳になった時に、「頑張って生きてきてよかったな」って思うような人生を送ってくれたらいいな、と思います。今はそれくらいしか言えません。

レイさん、ユミさんのまっすぐな言葉を受け取ったユウさん、落ち着いた様子で語り始めました。

ユウさん 8月頃からこの事を考えてあたためていたんですが、まさか息子と一緒に参加する回で出せるとは思ってなかったです。でも、たとえばスイスには安楽死できる施設があるらしいんですが、そこに行ったとしても、最後に自分が(死に至る)薬を投入できるかって考えると、現時点ではできないだろうと思うんです。子どもも小さいですし、今生きているなかで一番大きいのは子どもたちのことなので。

だから基本的には、「生きています」。

Yuu's photo
いつも正直で、誰よりも情に熱いユウさんの告白で、みんなの心が動き出しました。                         

ここまで真摯な眼差しで3人の言葉に耳を傾けていたハナさんも、自分の死生観について語りはじめました。難病・全身性エリテマトーデスを患い、昨年からはガンの治療も続けているハナさんは「私は生まれた時から死に向かって歩んでいる」と語り始めました。

ハナさん 何度も「朝が来なかったらいいな」と思いながら日々生きてきました。発病した時はまだ子どもが高校生でしたので「私がいなければ」と思いながら、それでも明日は来て。それが生きているっていうことなのかな、と思って。

今は息子が社会人になったので「もういいかな」と思いながらも、でも今日も「ここ(みみここカフェ)に来たい」って思ったり。来てみたら、こうやってお話を楽しんでいる自分がいる。「生きるの嫌」って思う自分と、「生きていて良かった」って思う自分と。混沌とした想いの中で日々を過ごしながら、今私はここにいます。

 

Hana-san's photo
一言一言、丁寧に言葉を紡ぐハナさんの眼差しは、優しさに満ちています。
「死にたい」は、「より良く生きたい」の最終形かもしれない

それぞれの想いが交錯するなかで、レイさんは「自殺がいけないことになっているのはなんでだろう?」と問題提起をしました。

レイさん:ぼくは「自殺はすごく悲しいことだな」と思って生きてきました。だって死にたいって言う人は、本当に死にたいわけじゃないから。でも逆に言うと、「なんで死んじゃいけないんだろう?」とも思うんです。

ぼくがユウさんの話を聞いて思うのは、「死んじゃいけない」ってことよりも、「死んでほしくないな」、「死なないでいてくれたらいいな」ってことです。

声を震わせながら想いを語るレイさんの言葉に、参加者のみなさんはしっかりと耳を傾けます。

レイさん ぼくの姉がすごく難産だった時、「本当に命をかけて子どもを産んでいるんだな」、「やっぱり命はないがしろにできるものじゃないな」って思ったんです。だから「死んじゃいけない」じゃなくて「死んじゃうのは、もったいないな」って。

どうせ最後はみんな死ぬわけで、それが明日なのか10年後か30年後かの違いですよね。だったら今日死ななくてもいいよね、って。でも今日ユウさんが話してくれてよかったな、ってすごく思います。

Rei's photo
いつも軽快な語り口でみんなの心を軽くしてくれるレイさん。体験から語る想いのこもった言葉が、みんなをひきつけます。

ここで、「まとまっていないかな、と思うんですが」と手を挙げたのはミワさん。3度目の参加のミワさんは、音楽療法士としてご活躍。ご自身の体験を丁寧に共有してくださいました。

ミワさん 私は夏に義母を亡くしました。高齢者の見本のような、私も「羨ましいな」と思うような暮らしをしている80代後半だったのですが、ある日緊急搬送されて、そのまま入院して1ヶ月ほどであっという間に亡くなってしまって。

母が最期の日に「生きられなくなっちゃった」「もう生きられないよ」って言ったんです。それがどういう意味なのかまだわからないんですが、今それをちょっと思い出しました。

でも自分の母に対しては、今ちょっと調子を崩していますが、「もうちょっと生きてよ」って思うんです。1人で生きてきたわけではないけど、逝く時は1人なんだな、って思ったりしています。

Miwa-san's photo
心に秘めていた想いを精一杯伝えてくださったミワさん。

問いに対する「答え」ではなく、自分の感じたこと、体験したことを話す哲学対話。誰かの話を聞くことで、自分自身の体験や秘めていた想いも蘇ってくるのでしょう。ハナさんが再び、手を挙げました。

ハナさん ミワさんの話を聞いていて、まだ私が「生きてみよう」って思う理由を話してみようと思いました。私は19歳くらいの時に母と一緒に阪神大震災で被災して、目の前でたくさんの人が亡くなるという状況を目の当たりにしました。その後数年経って母が末期のガンということがわかって、最後は家で看取ったんですね。53歳だったんですけど。

気丈な母で、辛いとか苦しいとかは全然言わなかったんですけど、「お母さん生き抜けるんじゃろうか」って言った時、母はこんな状態になっても生きたいんだな、生きるということに向かっているんだな、って思いました。そんな母との思い出が、どこかで心にあります。

でも一方で、「あと20年は長いな」というのもあります。気持ちも移ろいますよね。でも今日ユウさんがこの話をしてくれてよかったです。多分私はどこかで、自分の気持ちを笑顔で誤魔化して生きているんですよ。周りに心配かけないようにとりあえず笑って、こういうことは口にしにくかった。

今みなさんの話を聞いて、もっとこういうことも楽に話したりできる世の中だといいな、って改めて思いました。ありがとう。

ハナさんと同じく、阪神大震災で被災した4Hearts代表の那須は、ここで今日初めて自分の体験を語り始めました。

那須 私が生とか死をものすごく考えたのは、中学2年生の阪神大震災の時でした。私が寝ているところに、すごく重い桐のタンスが倒れてきたんですが、たまたま布団の横にあった本棚がつっかえて押し潰されずに生きていて。でも私のおじさんはコタツで寝ていてそのまま燃えて亡くなって。37歳の時は、青信号を渡っていたら車にはねられて、それでも生きていて。

茅ヶ崎に来てからも「死のうかな」って思ったこともあったんですが、アンバー(猫)がいたからやめたんです。そこから心理の本を読み漁るようになったんですけど、乗り越えたきっかけは、『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を読んだことでした。答えを出さなくてもいいんだ、出そうとするから苦しんだ、って気づいて。

死にたいと思っている自分を「死にたいんだね」って抱きしめるというイメージが沸いた時、なんか、消化できた感じがしたんですよね。そこからは、淡々と「やりたいことをやるだけ」っていう感じでフラットに考えて生きてきています。

Nasu's photo
4Hearts代表・那須かおりも、ここでは参加者のひとりとして、自らの困り事や体験をありのままに語ります。

さまざまな経験から生や死に対してフラットに見るようになったという那須の死生観を聞いていたユウさん。自分の気持ちの奥底にある「生きたい」という本音を思い出したよう。

ユウさん 20〜30代の頃、うつ病だった時に思ったのは、「死にたいっていうのはもっとうまく生きたいということの最終形だ」ってことだったんですね。もっと楽しく、気持ちを楽にして生きたいけど、それができないから「死にたい」って思ってしまっているんだな、って。そのことを忘れてしまっていたんですけど、レイさんの言葉で思い出しました。

でもどうしたら転換できるんでしょうね。病気もどんどん悪くなっていて、薬を減らしたり増やしたりを繰り返してて、どうしたらもうちょっと生きる希望を持ったり、楽になったり、気持ちも体も前を向けるようになるのかな、って。

「生きたい」という自分の本当の気持ちはわかっているけど、気持ちが転換できない。そんなユウさんに対して、ユミさんはもう一度、精一杯の言葉を贈りました。

ユミさん ユウさんに以前、ご主人が私と同級生だということを聞いた時、私がユウさんの救世主になれるんじゃないかって思ったんです。思い上がりですけどね。でも、その辛い気持ちを全部吐き出して、楽な気持ちで生きてほしいです。絶対良い時が来ると私は信じています。

死っていうものは誰にでも平等にやって来るものですから、あえて自分で引き寄せてしまう必要はないんじゃないかと私は思っています。死ななきゃいけない時はどんなに避けても死んでしまいますから、その時までは少しでも元気で楽しく生きていきます。

ブレながら前に進む。楽に生きる。

ここでレイさんは、ちょっと違う視点から「生きようとしなくてもいい」と語り始めました。

レイさん なんか変な言い方ですけど、頑張って生きようとしなくてもいいんじゃないですかね。ぼくは自分の性に対する感覚がずっとわからなくて、でも今、これだけ話ができるようになって、「お姉さん」って言われてもスルーできるようになりました。心は上下しますが、自分が生きているということ自体、もっと楽になれたんです。

那須が「みんな揺らぎながら生きているのかな」とつぶやくと、レイさんは「そうそう」と続けます。

レイさん 「人はブレないと前に進めないから」って言ってくれた人がいて。ブレるから前に進める。そういうことにしておきません?(笑)

ここまで常連のみなさんの対話に聞き入っていた初参加のオオシマさんも、ここで口を開きました。「感じることがたくさんありすぎて、何を言ったらいいか…」と言いつつも、丁寧に言葉を探して語り始めました。

オオシマさん 私も実は去年の11月に父が89歳で亡くなったんですけど、60歳の時に脳出血で倒れて、人生の3分の1を障がい者として生きてきました。父が倒れたのはちょうど今の私くらいの歳なのですが、確かにこれから30年障がい者として生きるのは長いな、と正直思ったりもしています。

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4Heartsが助成を受けているキリン財団のオオシマさん。「みみここカフェを体感したい」と初めて参加してくださいました。

 

オオシマさん でもやはり生きていく意味っていうのは本当に人それぞれですね。私も仕事もプライベートも喜ぶこと、落ち込むことを自分の中で繰り返しながら、うまくいかなくても「大丈夫だ」と自分を励ましたり、「素晴らしいね」って言い換えたり、弱い自分をなだめながら生きる理由を見つけて生きているんだな、と。みなさんの話を聞きながら、そんな風に思ったりしていました。

そういった意味で、やはりみなさんが本音で話して生きるということの意味を考えるきっかけになっているこの場が、本当に素晴らしいと思いながら参加していました。こういう場があるっていうことが、生きていく意味につながっているのかなとも思います。

同じく初参加のタケハナさんも、オオシマさんに続いて自分の気持ちを言葉にしてくださいました。

タケハナさん みなさんの話を聞いて思うことがありすぎて言語化が難しいのですが…。みなさんすごく必死に生きていて、ちゃんと生きること、死ぬことと向き合っているように感じました。自分はまだ27歳なんですけど、漠然と50代の元気なうちに人生終わりたいな、って考えていて。「それってなんでだったんだろう?」ってみなさんの話を聞きながら考えていました。

Takehana-san's photo
長野から初参加のタケハナさん。「那須さんのように聴覚障害者をつなぐ活動ができたら」と参加してくださいました。

タケハナさん 自分は生まれつき聴こえなくて、小学校6年生くらいの時に「このまま生きていく意味があるのかな」って思ったことがあって。コミュニケーションについていけないから仕事に就けない、という不安しかなかったんです。実際に社会人になってコミュニケーションで失敗した時に、運転していてこのまま川に突っ込もうって思ったこともありました。

それでも今生きているし、心も比較的安定しているのは、やっぱり自分の気持ちを言語化して聞いてもらえる場があるおかげなんですよね。ここの他にも色々なコミュニティがあるから、気持ちが安定していられます。

それに以前、「余命があと24時間と言われたら何をしよう?」と考えたことがあって、「今までお世話になった友人や恩人に手紙を書こう」と決めていて。やることが決まっているから、死に対しては怖いと思わない。今は、そういう死生観で生きています。

京都から参加のヤマガタさんも続きます。

ヤマガタさん 私は小学生の時にいじめられっ子で、毎晩死にたいと思いましたけど、将来はこの状態から抜けられるだろうっていう淡い期待で生きていて。そのうち惨めな思いをしても、感情と自分を切り離すようになってしまって。

それからもさまざまな経験をしましたが、今まで「死にたい」という方にも何度かお会いしています。それぞれに理由があるのでそのまま受け止めるしかないんですが、その中に何人か私の好きな人がいるんですね。「もっと話したい」とか「ずっと友達でいたい」と思う相手に対しては「死んで欲しくない」という気持ちがあって、それは伝えています。死にたいという人にそんなことを言うのは頭から否定しちゃう感じでどう思われるか、と思いながら、でもやっぱり「生きていてほしい」と言うのがあるので止めました。

Yamagata-san's photo
愛知在住のヤマガタさんは、実家への移動中に京都からご参加。困難の多かったご自身の体験をありのままに語ってくださいました。

ヤマガタさん それとは別の話になりますが、私は両親と弟を半年から1年くらいの短い間に亡くしたんですね。49日過ぎてやるべきことをやったらパワーを失ってしまって、正直今は余生を生きている感覚です。

多分私はずっと自分を誤魔化して忙しく生きてきたんです。周りから見るとエネルギッシュに生きているように誤解されますけど、多分考えるとネガティブになって落ち込んでしまうので、考えないようにしているだけで。今日みなさんの話を聞いて、自分はずるいな、って。そんな感想を持ちました。

「楽しかったです」から受け取るメッセージ

初参加のみなさんも精一杯の想いを伝えてくださったあと、最後は参加者一人ひとり、チェックアウトの時間を持ちました。心からのお礼を伝える方、改めて気づきを語る方…それぞれの言葉もここに、大切な記録として書き残しておきたいと思います。

オオシマさん 今日みなさんのお話を伺って、自分のことを見つめ直す大切な時間になりました。みなさんに本当に感謝したいと思います。ありがとうございました。

ユミさん 今日も参加させていただいてよかったです。こんな話ゆっくり聞かせてもらうこともできないし、自分から話すこともなかなか少ないので、これを糧にしてまた、次回みなさんにお会いできるまでいろいろ考えて生きていきたいと思います。ありがとうございました。

ハナさん 言葉に出さずに、ずっと多分自分の中で抑えていた想いが出せたのかなっていう気がしました。こうやっていろいろなことを考えて、ぶれたり悩んだりしながら、やっぱり今日も生きてるんだなって改めて思いました。以前私が入院する時、ユウさんに、「会ったこともない人の事をこんなに祈ったことはないよ」って言ってもらったことがあって。実際にお会いした方もお会いしていない方でも、誰かのことを想っていたりしている。なんかやっぱり、だからこそ生きているのかな、とか思ったりしました。

レイさん ぼくにとっては恋愛って「何か変なの」って思ってて、でも何かポカポカした気持ちがあって、そのポカポカを向けている相手はいっぱいいるんですよ。ここに参加してくれてる人はみんなそうで、ユウさんなんて直接会ったことないんですけどね。だから、勝手にそうやってポカポカした気持ちを向けているんだよ、っていうことを伝えながら生きていこうかなって思いました。ありがとうございました。

ミワさん 誰にも話したことがない、どこにも書いたことのないことを、「どうしようかな」と思いながらも、今日やっとここで話せました。みなさんが、私のために話してくださったような気がしています。ありがとうございました。

ヤマガタさん 私は「忙しくしてればいい」と思っている人間で、この後もまた用事があるんですけれども、それもいいかな、忙しくしていようかなって。それでまた、今日みたいなところで話ができたらいいな、と思います。ありがとうございました。

タケハナさん 短い時間でしたけど、みなさんの経験を受けて、自分の価値観を考え直す機会をもらえました。初参加で、「生きること・死ぬこと」という大きなテーマでびっくりしましたけど、普段はできない対話なのですごく良かったな、と思いました。ユウさんが心の内に秘めていたことを出して、考えるきっかけを与えてくださったのだと思います。ありがとうございました。

ユウさん 日曜の午前からなかなかヘビーな話題で失礼いたしました(笑)。話してみたことで、胸にずっとつかえていたものが、消化まではいかないですけど胃の手前くらいまで移動したので、このまま消化までいけたら、と思います。どうもありがとうございました。

シンくん(ユウさんのお子さん) 今日初めて参加したんですけど、知らないことがいろいろ知れて楽しかったです。

Shin-kun's photo
ユウさんのお子さんのシンくん。2時間に渡る対話を、終始真剣な眼差しで聞いていてくれました。

「こんなこと話しちゃダメかな?」といったタブーのない対話の場に参加して、小学生のシンくんは、「楽しかった」と自分の気持ちを表現してくれました。

「死」に関しては、なかなか口に出すのが難しいもの。でも、それさえもためらわず、誤魔化さず、本心で語りあう大人たちの姿は、シンくんにとってとても気持ち良く映ったようです。みなさんは、どのように受け止めましたか?

私自身、これまで自分の死生観を語ることはほとんどありませんでした。でも今回、参加者のみなさんの対話を聞いて、一人ひとりのチェックアウトとシンくんの感想を聞いて、「死を語る」ということそのものに対する見方が大きく変わりました。「死」を語ること、それはつまり、「生」を考えることなのだ、と。必ず誰にも訪れる最期を、どう迎えたいか。そう考えた時、「どう生きたいか」が見えてくる。「生きる」ということの解像度が上がってくる。

だから家族とも友人とも、大いに、死について語ろうと思います。ありのまま、そのままの自分の心をさらけ出して語る相手がいることに、心から感謝しながら。

photo of everyone's smile at the end

次回みみここカフェは、4月24日(日)に開催します。「ちょっと話してみようかな」という方も、「まずは聞くだけ」という方も。どんな方に対しても、扉を開いてお待ちしています。

 

[文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]

※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。

■自殺を防止するために厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口

【SNS相談】チャット等で相談ができます。
SNS相談等を行っている団体一覧(リンク:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_sns.html

【電話相談】24時間対応の団体もあります。
電話相談窓口一覧(リンク:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_tel.html