ごちゃまぜだからこそ、”自分”がわかる。わかりあえる。

[第3回みみここカフェ イベントレポート]

Photo of members of the Zoom meeting


「聴こえる」「聴こえない」をこえた対話で、“みみ”と“こころ”をつなぐ「みみここカフェ」。
4Heartsが主催し2ヶ月に1度開催している本イベントも今回で3回目となり、正式に茅ヶ崎市からの後援をいただけることになりました。地域のみなさまからの支えの中でイベントを継続できること、心からありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。

※過去の「みみここカフェ」レポート
【第1回 2020年10月開催】障害をこえて誰もが心通じあえる社会は、つくれる。
【第2回 2020年12月開催】誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。

2021年2月7日(日)、緊急事態宣言の発出に伴い、初めてオンラインでの開催となった今回は、関西から参加してくださった方も。音声認識アプリやチャットも活用し、慣れないながらもオンラインならではのメリットも実感できた2時間の様子を、レポート記事でお伝えします。

 

オンラインなら、つながれる。

今回の参加者は5名。そのうち3名は、2度目のご参加でした。まずはお互いのことを知り合うため、一人ひとり、自己紹介をしていただきました。こんなご時世の中、貴重な休日の時間を割いて参加してくださったみなさまに感謝の気持ちを込めて、今回はお一人ずつご紹介させていただきます。

医療従事者でご多忙な中、仕事にも活用するため手話を勉強中というイナバさんは、2回目のご参加。

手話サークルで20年以上勉強されているけれど「まだまだ勉強中」と謙遜されるハブチさんは、兵庫県西宮市から初のご参加です。

「こんなご時世でもオンラインなら安心」と2度目の参加を決めてくださったホリコシさんは、音楽療法士としてご活躍の方。

「音楽が好きで、音やろう者の感覚に興味がある」というレイさんも、前回に続き2度目のご参加。ジェンダーマイノリティの立場としてもこの場に関心を抱いてくださっています。

長年福祉関連のお仕事をされているスーさんは、現在は子どものデイサービスで支援をされていて、その中に聞こえにくいお子さんもいらっしゃるのだとか。「ろう者の方の話が聞けたら」と初めて参加してくださいました。

そう、今回集まってくださったみなさんは、全員が“聴こえる”方でした。“聴こえない”のは4Hearts代表の那須かおり、ただひとり。こんなにも多くの聴こえる方が、”聴こえない”世界に興味を抱き集まってくださったことに、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

Photo of members of the Zoom meeting
この日、聴覚障害者は那須かおりただ一人でしたが、手話通訳に加え、
オンライン会議Zoomの画面のひとつに音声認識ソフトによる文字を表示することで、情報保障を施しました。

 

参加者のみなさんに続きスタッフも順に自己紹介をさせていただき、団体紹介のあとは、メインとなる哲学対話の紹介へ。

「何を発言してもよい」
「他者が発言したことに対して否定的な態度をとらない」
「発言せず、ただ聞いているだけでもよい」
「知識ではなく、自分の経験に即して話す」
「話がまとまらなくてもよい」

といったルールで、誰のどんな意見も尊重される「哲学対話」は、「みみここカフェ」のメインコンテンツです。今回も代表の那須かおりが進行を務めました。

 

Photo utilizing the shared screen
Zoomの画面共有機能も活用しながら会を進行しました。

 

ただ受け入れることで伝わる、「そのままでいい」というメッセージ

哲学対話の皮切りに、まずは事前に寄せられたコメントにあった「子どもに対する配慮」についての対話をスタート。「聴こえない子どもと接したことがある方はいらっしゃいますか?」という那須の問いかけに対し、手を挙げてくださったのはデイサービスにお勤めのスーさんです。

スーさん 「完全に聞こえないのではなく聞こえにくいお子さんと毎週のように接していますが、どうしてもその子は周りに合わせてしまっているように感じます。コミュニケーションの方法を探っている状態なのか、私との間ではサインを送ってくれるけど、他では手話を一切やめてしまいました。

もしかしたら人の目を気にするようになったのかもしれません。子どもの成長の中で、聴こえないことをどう感じ取っているのか、大人はどう対応したらいいのか、那須さんの体験をお聞きできたらありがたく思います。」

 

photo of Suu-san

スーさんの問いかけを受けて、那須は自身の子どもの頃の体験を語りはじめました。

那須 「私が聴こえないということが“本当に”わかったのは、高校のときだったんです。小中学校は一般校で、高校で初めてろう学校に行って、同級生を背後から呼んだら振り向かなくて、自分もそうだと気づいんたんですね。

でもショックだったわけではなく、それを理解するための準備期間が必要でした。周りのみんながネイティブとして手話を使っている中に入ったので、手話を見て思考するという思考回路を組み立てなきゃいけなくて、言葉がすぐに出てこない状態が2〜3年続いて。

その期間、ろう学校の先生からは私が障害受容していないように見えたらしいんです。だから私の経験からは、待ってあげるのが一番いいのかな、と思います。」

頷きながら聞いていたスーさん、「待つ」という言葉が腑に落ちた様子です。

スーさん 「向こうから求めて来るのをゆっくり待っている方がいいのかな、と感じました。」。

那須 「そうかもしれませんし、障害受容ができていないのかもしれません。でもどちらにしても時間が必要かもしれません。」

そんなふたりのやりとりを聞いていたレイさん、画面越しに手を挙げ、ご自身の体験を語り始めました。

レイさん 「物心ついた頃から女の子でも男の子でもない感覚で、自分のことを“ぼく”と言っていました。ぼくは周りと違うことを誇りに思っているけど、それは双子の”片割れ”も同じだったから。「ぼくらはぼくらだから」と思っていたから、人の目を気にすることはなかったんです。

でももし双子じゃなかったら貫けなかったと思います。個人的には、周りは理解する必要はなくて、ただ受け入れることが大事かな、と思います。大人がそういう態度でいてくれれば周りの子どもたちもきっとそうなるし、その子も救われます。“いい”とか”悪い”とかじゃなくて、”そういう存在なんだよ、それでいいんだ”って認めてあげられたら。」

 

photo of Rei-san

スーさんは「すごくわかります」と、レイさんの体験談が心に沁みた様子。4Hearts加藤からの「まわりにその子と仲のいいお子さんはいらっしゃいますか?」という問いかけに、「はい。“その子は違うから一緒に遊ばない”といったことがまったく無い良い環境なので、間違っていないんだな、と、自分の中でスッキリしました」とやわらかな笑顔で答えてくださいました。

 

多様なロールモデルから見えてくる、生き方のヒント

那須は続けてスーさんに、「そのお子さんにはロールモデルになるような子はいますか?」と問いかけました。自分の人生経験から、聴覚障害者にはロールモデルの存在が大事だとという想いを持つ那須にとって、とても気がかりなポイントなのです。

 

photo of Nasu-san

 

スーさんが、「去年からろう学校に通うようになったので、聴こえない子どもや大人の中にはいます。でも私が所属している放課後デイサービスはそういうお子さんが少ないので、両方の環境で気持ちが揺れているところもあるのかな、と思います。」と話すと、那須は再び自分の体験を語り始めました。

那須 「私もろう学校1年目は手話を目で盗んでいる状態でした。でも3年の途中からぼんやりと考え事をするようになったんです。それは自分で自分をしっかり見つめて考え始めたということ。3年目でやっと、聴こえないことも含めて自分の頭で自分自身のことを考えられるようになったんですね。

だからその子はひょっとしたらものすごく頭が良くて、両方の世界を見ながらすごく考えているのかもしれません。情報を分析しながらどう生きていいか考えていて、でも生き方のヒントが見えていない状態なのかな、と思いました。」

続けてレイさんも、ロールモデルの必要性を語ります。

レイさん 「ロールモデルは大事ですよね。聴こえる・聴こえないにかかわらず、いろいろな人を見せてあげること。世界中の人や昔の人も含めて見せてあげると、その中で自分はどうありたいのか見つかるかな、と思います。」

スーさんは改めて最近のその子の様子を思い浮かべ、愛情たっぷりといった様子でこう語りました。

スーさん 「その子は高学年になって、おしゃれや男性ボーカリストに興味を持ち始めました。最近は悩みも話してくれるようになったので、デイサービスが安心できる場所になっているのかな、と思うとうれしくて。家庭以外で自分の気持を吐き出す場所は必要だな、とすごく思いました。」

スーさんのように親身になってくれる人の存在が、何よりもその子の力になるはず。画面越しにも伝わってくるスーさんの眼差しのあたたかさに、参加者のみなさんからは、拍手が贈られました。

 

Photo when using chat
チャット欄では、自分が発言しきれなかったことについて、
あたたかなメッセージの交換が行われていました。

 

手話と自分。根底にある想い

ここで那須は話題を変え、「手話を学ぶ」ということについて参加者のみなさんに問いかけました。那須が気になっているのは、新型コロナウイルス感染拡大に伴って講座やサークル活動が中止になり、「手話が使える機会が減っているのでは?」ということでした。

手話勉強歴20年以上というハブチさんは、ご自身の学びにおける困りごとについて、ありのままに聞かせてくださいました。

ハブチさん 「手話サークルに行けなくなったので、先日リモートで手話の会に参加しました。でも健聴者が主催なので、単語が主で、表情などが付いてこないんですね。リモートは感染しないので安心ですが、やっぱりろう者が手話で話してくれるほうが勉強になります。」

 

photo of Habuchi-san

 

ここで4Heartsサポーターの市川さん、手話経験の長いハブチさんに対して、みんなが聞いてみたかった問いを投げかけました。「手話を学び始めたきっかけをお聞きしてもいいですか?」と。ハブチさんは少し笑いながら、当時を思い返すように言葉を重ねてくださいました。

ハブチさん 「私はろうの友達がいたわけでも、特に手話に関心があったわけでもなかったんです。でも55歳でまもなく還暦を迎えると思ったときに、“職場と家の繰り返しではつまらない。なんでもいいから新しいことを勉強したい”と思って、たまたま広報誌の中で目に入ったのが手話講座でした。一度は見過ごしましたが、10日ほど後にまた目にして、「何か縁があるのかな」と腹をくくって申し込んだんですね。

でも3年ほど経って、難しいし辞めようかと思って80代の女性に相談したら、「辞めてもかまへん。でも私はろう者だから手話がないと生活できないから続けるわ」とニコニコして言われた。そのニコニコが胸にきて、手話がないと生活ができない人もいると初めて気づいたんです。なかなか覚えられないけど、聴こえない人と一緒に生活できるようになりたいと思って24年経ちました。動機は不純でしたけど頑張りたいな、と思って続けています。」

ハブチさんのこの話には、参加者一同、心からの拍手を贈りました。続けてホリコシさんも、学びについての経験をシェアしてくださいました。

ホリコシさん 「私は去年講座が終わって、でも使わなくては忘れてしまうと思っていたところにオンラインで学ぶ手話を見つけて、始めてみました。でもその集いではみなさん経験豊富ですごい勢いで喋っているので、すごく壁を感じてしまったんですね。でもまた継続したいな、と思っています。」

 

photo of Horikoshi-san

 

制約の中で気づく、コミュニケーションの本質

ここでホリコシさん、音楽療法士の立場からコロナ禍での悩みを打ち明けてくださいました。

ホリコシさん 「感染が拡大してから声を発することが害のように言われて、音楽も悪とされてしまって、辛い時期を過ごしていました。最近やっと疎外感がなくなってきましたが、今も高齢者と向き合うとき、マスクとフェイスシールドをどちらも着用しなくてはならなくて。耳が遠い方もいて、せっかく楽しみに来てくださるのに、聴こえないんです。障害に限らず、こういった不自由が襲って来ることもあるんだな、と感じています。」

「那須さんは手話ができない方と話すとき、どうされていますか?」というホリコシさんからの切実な問いかけに対し、那須もコロナ禍での苦悩を語りました。

那須 「私は読唇術だけで相手の話を理解しているわけではないんです。初対面のときは、その人の雰囲気や口の動かし方の癖、目の表情、口の表情、ファッションまで無意識にトータルで見ていて、それらの情報全部をヒントにして話している内容を想像しています。だからマスクをしていると相手の話がわかりません。どんなに親しい相手でもマスクをしているとわからないんです。」

口話教育を受けて育った那須にとっては、マスクをしている人の手話を読み取るより、外している人の口を読み取る方が理解しやすいのです。一方、手話通訳の4Hearts津金は、通訳の仕事には透明のマスクをして行くと言います。
透明マスク『ルカミィ』の記事はこちら

津金 「口形や表情も含めて手話なので、マスクによって情報が欠けてしまうこともあります。それは経験でカバーしていきますが、初対面でマスクをしているとやっぱり分かりにくくなります。」

と、手話通訳としての苦労にも言及しました。

 

photo of Tsugane-san

 

ハブチさんも続けます。

ハブチさん 「やっぱり口の形や表情も含めた上で手話であり言語であると思うのですが、サークルに行くとみなさん普通にマスクをしていたりするんですね。せめて手話にかかわっている人はフェイスシールドをしてほしいです。」

今では外出のときの“当たり前”になりつつあるマスク。哲学対話を通して、聴こえない方にとっては、それがコミュニケーションにおける大きな障壁となっていることに気づかされました。

でもこれは、聴覚障害者に限ったことではありません。たとえば乳幼児にとって表情の見えない大人とのコミュニケーションは、感情の発達に大きな影響があるとも言われています。社会情勢による制約のなかで、お互いの立場を思い至ること、相互にわかりあうということ、といったコミュニケーションの本質に向き合う姿勢が問われているのだと感じます。

 

ごちゃまぜだからこそ、“自分”がわかる。

議論が深まり、コミュニケーションの本質までたどり着いたところで哲学対話の時間は一旦終了。このあとは、オンライン版懇親会、アフタートークの時間に。

 

photo of Inaba-san

 

手話を学ぶためのメディアやツールの話題では、ZOOMやYouTubeの利点・欠点をシェアし合うなど、学びの実践者ならではの意見が交わされました。中でも盛り上がったのは、手話を介したコミュニケーションにおける、「まったくわからない」という体験の価値。

イナバさんが

「今の私の力では今日の話は手話ではまったくわからないけど、10分だけでも手話だけの時間があってもいいかも。」

と発言すると、那須も続けて、

「まったくわからない経験は必要だと思う。そうやってろう者の立場を感じて一生懸命ジェスチャーしたり目で覚えたりする体験は、本質を知るという意味で大事だと思います。」

と発言。レイさんも、

「いまの社会はお膳立てしすぎるところがあるけど、ごちゃまぜな場面でこそ、本質的なことがわかるし、自分のことがわかる。だからぜひ、やりたいですね。」

と賛同しました。

音声認識もなく、手話や身振り手振りだけで話し、「わからない」を体感する会。「みみここカフェ」とは別の機会に、本当に実現するかもしれません。そんな新たな予感までも共有できた、有意義な2時間となりました。

 

Photo at the end of the Zoom meeting

オンライン開催という経験をひとつ積み重ね、4Heartsはまた次の旅路へ。

次回「みみここカフェ」は、4月18日(土)10:00〜12:00に開催予定です。毎回気づきの連続の哲学対話、みなさんもご一緒しませんか?

 

[文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]

※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。