「聴こえる・聴こえない」「男・女」じゃなく、「私は私」。
”2極の世界”から飛び出して、軽やかに生きるために必要なこと。

[第5回みみここカフェ イベントレポート]

Overall photo of the start

「みみ」と「こころ」、「聴こえる」と「聴こえない」をつなぐ「みみここカフェ」。

聴こえない・聴こえにくい方々が安心して困りごとを話せる対話の場として2020年10月より隔月で開催してきたこのイベントも、今回で5回目となりました。当初は聴覚障害や難聴の当事者の方、またはそのご家族の方の参加を見込んでいましたが、誰もがありのままにいられる場づくりを心がけていたところ、今では視覚障害、身体障害者の方、難病の方、LGBTQ当事者の方のほか、「どんな対話が交わされているか気になって…」という興味関心から参加してくださる方も増えてきました。

さらに感染症対策のため第3回よりオンラインに移行したことで、遠方や入院中の病室からもご参加いただけるように。多様性は増し、対話もより本質に迫る内容へと深まる一方。主催メンバーも毎回、たくさんの新たな学びを受け取っています。

※過去の「みみここカフェ」レポート
【第1回 2020年10月開催】障害をこえて誰もが心通じあえる社会は、つくれる。
【第2回 2020年12月開催】誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。
【第3回 2021年2月開催】ごちゃまぜだからこそ、”自分”がわかる。わかりあえる。
【第4回 2021年4月開催】「あなたのことをわかりたい」。支援する側・される側、その想いが交わるとき。

さて、今回はどんな対話が交わされたのでしょうか。現場の空気そのままに、レポートをお届けします。

 

「4Heartsがつくる場」から「みんなでつくる場」へ

2021年6月6日、梅雨の走りの雨が降る中、オンラインでつながったのは9名の参加者のみなさん。冒頭の自己紹介タイムは、回を重ねるごとに熱を帯びてきています。住まいや自分の関心をシェアするだけではなく、複数回目の参加の方は、この「みみここカフェ」をどのように受け取っているか、なぜ参加し続けるのか、といったいまの想いを共有してくださるようになりました。

2回目の参加者・ハナさんは、「さまざまな方が対話できる居心地のいい場」と語り、同じく2回目のナツコさんは、「前回感動や発見があったから」と参加動機を話してくださいました。4回目のレイさんは、「那須さん(4Hearts代表の那須かおり)と一緒にいろいろ考えていきたい」と、「みみここカフェ」という場を自分ごととして捉えてくださっている様子。

主催者としてはとてもうれしいみなさんの声。主催は4Heartsではありますが、参加者のみなさんが何かを「受け取る」だけではなく「一緒に考える」という姿勢で関わってくださっていることで、「みんなでつくる場」へと変化し始めていることを感じます。

 

Voice app photo
今回も手話通訳に加え、音声認識アプリによる字幕表示をすることで、さまざまな方に参加していただける環境を整えました。

  

葛藤も違和感も素直に話せる場があれば、
もっと楽に生きられる。

9名一人ひとりが想いをシェアしてくださったあとは、いつもの「哲学対話」の時間へ。

Description of philosophical dialogue
哲学対話のルール。「みみここカフェ」では、聴覚障害の当事者である代表の那須かおりと一緒に、
誰もが気軽に発言でき、みんなの意見が尊重されるフリートークの時間をたっぷりと取っています。

 

「どなたか話したい方はいらっしゃいますか?」。那須の問いかけに少し長めの静寂を挟んで手を挙げてくださったのは、レイさん。ジェンダーアイデンティティが流動的に変化する「ジェンダーフルイド」であるというレイさんは、「気になっていたことがあった」と話し始めました。

レイさん かおりさん(那須かおり)に、「狭間」という言葉の意味を一度聞いてみたいと思っていました。SNSで「以前は狭間にいたけれど今はいない」と書かれていたのをお見かけして、聞きたいと思っていました。

この問いかけに対し、那須は自身の経験を語り始めました。

那須 私は生まれつき耳が聴こえなくて、でもそれがわかったのは、4歳のときだったんです。当時は手話禁止の時代だったので、言語訓練施設で小学生までに話せるように、と訓練を受けて、一般の小中学校に通いました。でも発声を詰め込んだだけの訓練だったので、自分で自分の障害がわからず、感情や困りごとをうまくまわりに伝えられなくて、馴染めませんでした。高校でろう学校に行ったら、今度はみんな手話をやっていて。だから聴こえる人の世界にも、聴こえない人の世界にも入れなかった。

そういう意味で、私はずっと、「狭間」を歩いてきたんです。居場所がなく孤独感を抱えてきたんですが、あるとき、逆にそれが両方の世界の橋渡しになるということに気づいて。『ネガティブ・ケイパビリティ』という書籍にも「答えを出そうとしない」ということが書かれていますが、所属することを考えず、さすらうように生きればいいと思うようになりました。何事も2極で捉えず、そこから外れてしまえば楽になる、という答えにたどり着いたんです。

 

Nasu-san photo
4Hearts代表の那須かおり

 

うなずきながら聞いていたレイさん、「状況は違うけど共感できる」と、ご自身の経験を語り始めました。

レイさん ぼくもただ「なんか変だな」って感じながら、自分のことがわからずに生きてきました。「男と女、どちらかにしなくてはならない」と理屈だけで捉えていて、自分の気持ちを差し置いていた、そのことにさえ気づいていなかったのかな、って思います。

でも第2回のみみここカフェで話したときに「どちらかにしなくていい」ということに気づいて、そこから世界の見え方が変わりました。暗闇だったのが、カラフルなレインボーに見えてきた。そういう意味ではかおりさんと同じだな、と感じます。

続いて視覚障害を持つユウキさんも手を挙げました。ユウキさんは第2回に続き、2回目のご参加です。

ユウキさん 僕は障害者であることを開示して働いていますが、前回みみここカフェに参加して、障害者かそうでないか、どちらかでなくてはならないことがこんなにも辛かったんだ、こんなにも抱えていたのか、ということに気づきました。それから半年ほど経ちましたが、こうやって葛藤している自分をさらけ出したことで楽になってきています。那須さんの「狭間で生きてきた」という話も共感しますし、葛藤を表明できたこともとてもありがたく思っています。

 

Photos of Yuuki and Natsuko
参加者のユウキさん(写真右)とナツコさん(写真左)

 

右耳に難聴を抱えているユウさんも、「どちらかでなくてはならない」という2極の考え方に苦しさを感じてきたと語り始めました。

ユウさん 私はずっと、「女の子なんだから」と言われることに対してできない自分がいるのを感じて生きてきて、今はXジェンダー(男女のいずれか一方に限定しない性別の立場を取る人)を自認しています。

子どもが2人いますが、小学校に上がると、ピンクは女の子、青は男の子、みたいな認識が出てくるんですよね。息子はハートマークがついている洋服を「学校でバカにされる」と言って着なかったので、「恐竜は?」と聞くと「男」、「車は?」「男」、「花は?」「女」と。でも「マルは?」と聞くと「えっ……?」って言葉に詰まる。そのやり取りが、今は面白いです。

私にとってはそういった男女の2極というのがずっと足かせになっていましたが、いまは楽になってきています。

 

Yuu-san photo
参加者のユウさん

分断した2極の世界への違和感を共有しあったみなさんは、それぞれに安心した表情に。葛藤や違和感を正直に告白できる、その価値を誰もが感じた時間でした。

社会に求められるものに合わせる方が楽。
でも、居心地良く生きていたい。

ここで手を挙げたのは、マスさん。神奈川県会議員でもあるマスさんは、聴覚障害を持つ女性が主人公の映画『咲む』の上映会を通して那須と出会い、共感して参加してくださいました。

マスさん ユウキさんの自分をさらけ出す場がないという話が気になりました。こうやって話せる場は、今でも少ないのでしょうか。みみここカフェの他にもありますか?

Masu-san photo
参加者のマスさん

マスさんの問いかけに対して、ユウキさんは「パートナーとなんでも話せる関係にあるので聞いてもらっていますが、それ以外は今の所、みみここカフェだけです」と答え、続いて那須は、みみここカフェの場づくりの根底に流れる想いについて語り始めました。

那須 私の感覚では、今までの教育は「男はこう」「女はこう」と決めつけるところがあって、そこから開放されたい、自由になりたい、と願う人がいる。みみここカフェは、そういった方々が話をすることで癒やされる場に育ってきているな、と感じています。。

ユウさんは那須の言葉を受けて、社会への違和感についてこう問いかけました。

ユウさん ここが居心地がいいのは、社会が居心地悪いからだと思います。今の社会は、障害やジェンダーのことを隠す社会。どうしたら隠さなくてもいい、居心地の良い社会になるのでしょうか?

ユウさんの問いかけに答えたのは、ユミさん。歳を重ねて耳が聴こえにくくなり、コミュニケーションに困難を感じていらっしゃいます。

ユミさん 私は自宅で書道教室を開いていますが、ある男の子に「かわいいね」と言ったら、あからさまに嫌だと言われました。それ以来、区別やランク付けをするような言葉は使わないようにしています。小さい頃にかけられる言葉の影響は大きいので、大人の配慮も大切だと思いました。

レイさんはユミさんの体験を自分自身の体験に落とし込んでこう話しました。

レイさん ぼくも以前は、「かわいい」という言葉は「守ってあげなくてはいけない存在」と言われているようで、屈辱的に感じていました。でも同じ「かわいい」という言葉でも、人それぞれ違う意味合いで使っているので、今は「褒め言葉だ」と受け取れるようになりました。その人の言葉のニュアンスは尊重してあげたいし、それは「ごめんね」をちゃんと伝えられたら大丈夫だと思います。

たぶん今の生き辛さは「わからないことは言わないで」という空気にある。「男でも女でもない」って言いにくいんですよね。かわいいと思ったら素直に「かわいい」って言って、「自分なりの意味を込めたんだよ」という話をした上で相手の気持ちを尊重することができれば、お互いにもっと生きやすい社会になるのではないかと思います。

 

参加者のレイさん

言わないように配慮するのではなく、自分なりに表現して、そこに込めた意味までちゃんと話す。表面的ではない深い対話が生きやすい社会をつくるのでは、というレイさんの仮説に対し、ユミさんも「隔たりをつくらず、フラットな関係性が一番ですね」と、共感した様子です。そんなふたりの対話を受けて手を挙げたハセユミさんは、演劇を通して手話に興味を持たれた方。「大事にしている台詞があります」と、語り始めました。

ハセユミさん 「あなたはひとりではない。あなたはあなたのままでいい。あなたには力がある」という台詞を思い出しました。一人ひとり違うんだよねって思うと楽になるんだな、と。

さらにハセユミさんは、自分自身の苦い体験を、正直に話してくださいました。

ハセユミさん 私自身は「なんか自由にならないな」という思いがずっとありました。でも大学卒業後、イギリスに行ったときにそれが何かわかったできごとがあって。子どもたちに日本語で名前を書いてあげようと思って、私は男の子には青い紙、女の子には赤い紙を用意したんです。そうしたらある男の子が「僕は赤が好き」って言ってきて、「私はなんて押し付けがましいことをしたんだ!」と衝撃を受けて。私は「青い紙が好き」と言えるほど自分自身のことを理解していなかったんだと気づきました。

それ以来、人に対しても自分に対しても、「好きな色にしていいよ」って気持ちで接するようになりました。自分なりに自由に表現することって、もやもやを解消する手段だと思います。世の中から求められるものに合わせる方が安心だけど、自分が居心地がいいのは、自分を大事にして自分のことを伝えて、相手からもそういう言葉をもらえること。誰かと「かわいいって言われるのは嫌だな」ってやりとりができること。そのほうが大変かもしれないけど、居心地がいいんですよね。

Haseyumi's photo
参加者のハセユミさん

 

心をさらけ出すことは、楽じゃない。自分と相手、それぞれのありのままを大事にして分かり合おうとすることは、かなりの精神力が必要なこと。自分の心に蓋をして相手に合わせていれば、波風立てずに安心して暮らせる。でも……。

葛藤の果てに、一人ひとりの「居心地よい世界で生きていたい」という想いが溢れ出てきました。

  

相手の気持ち、自分の気持ち。
自分らしくいるためのコミュニケーションとは?

ここでユミさんは少し違う視点からご自身の体験を語ってくださいました。

ユミさん 私は難聴になってから、相手の言葉を通して相手の気持ちがわかって初めて自分を出せるということがわかってきました。みみここカフェではみなさんが「伝えたい」という気持ちで話されるのですごく話しやすいですが、友達同志のランチの場ではたわいもない話が多いですよね。難聴になってからそういった友達の話が耳に入って来なくなって、みんなの考えていることが分からず、その場にいること自体を不安に感じるようになりました。だから今は、自分らしく生きていくこと以上に、「人の気持をわかりたい」という気持ちが強いです。

  

Yumi's photo
参加者のユミさん

自分らしくいられるのは、相手の気持ちがわかるから。ユミさんのこの発言に対して「私も同じ思いがある」と語り始めたのはハナさん。難病エリテマトーデスを患ったことで低音域の難聴になった経験をシェアしてくださいました。

ハナさん 難病になって患者会に入りましたが、最初は「自分のことをわかってほしい」という気持ちが強くて、でも上手く伝わらなくて。「どうして伝わらないんだろう?」と考えたときに、一方通行の発信じゃなくて、「まず相手のことを知りたい」という気持ちが沸き上がってきました。いろいろな立場の人、いろいろな考え方の人がいるので、相手に問いかけるようにしていたら、逆に私のことも聞いてくれるようになったんです。

  

Hana's photo
参加者のハナさん

相手の気持ちを聞くことで、伝えられるようになったハナさんとは反対に、ユウさんは、自分のことを伝えたことで相手も心を開いて話してくれた経験があるのだとか。

ユウさん 実は私も難病を持っているのですが、ジェンダーのことも病気のことも隠さずに話すと、「実は私も」って相手が話してくれる機会が増えました。そうやってレスポンスが返って来るんですよね。

誰かの話をきっかけに自分自身の中に眠っていた想いや記憶が蘇り、自分のことを話したくなる。そんな連鎖の波に乗るように那須も語り始めました。

那須 私も若い頃は自分の困りごとを伝えることで精一杯で、恩師に「人の話を聞いたほうがいい」と言われたことがありました。当時の私には、人のモノサシを借りてきたり、モノサシを取っ払ったり、自分のフィルターを通さずに世界を見るという経験が必要だったのかな、と思いますし、「聞く」というマインドにならないと自分の伝えたいことも伝わっていかないということにも気づきました。

人と人の関わり合いにおいては、相手は自分の鏡であり、自分は相手の鏡。伝えることと聞くこと、その相互の関係性が育まれて初めて、心通う対話が生まれるのだと感じました。

 

自分なりの表現を持つこと、
いつもとは違う自分でいられる場を持つこと。

困り事や生き辛さをありのままに語り合い共感の波がひろがった後半、それまでずっと話を聞いていたトモさんが、ある提案を投げかけてくださいました。トモさんは、那須と知り合ったことでこの場に興味を持ち、参加してくださった方です。

トモさん 僕は人の話を聞くことのほうが多いタイプで。みなさんの考えを聞きながら自分の考えを落ち着かせる、ということを今日もずっと続けてきました。でもみんなが想いを吐き出すだけの場だと、僕は相手の重たい空気を吸い取って精神的にしんどくなってしまうんです。だから残り30分で笑えるような空気感が持てればありがたいな、と思います。

  

Tomo's photo
参加者のトモさん

 

トモさんの提案を笑顔で受け取り、「笑えるか分からないけど」と話しだしたのは、レイさんです。

レイさん 社会は「人=男か女」っていう前提ですよね。でもぼくは、「それなら人じゃなくていいです」って思っていて。どこかに所属している自分ではなく、ただそこに居る存在としての自分を受け入れちゃうと自由になれます。人に伝わりにくかったら、「“男と女の中性”じゃなくて”妖怪”なんですよ」とか言っちゃうとギャグ的に受け入れてくれて、楽ですよね。

自分のありのままの姿を「人ではなく妖怪」と表現したレイさんに対して、那須は「言葉じゃない表現でもいい」と続けました。

那須 歌など、言葉とは違う表現で生きている人もいますよね。私は耳が聴こえないのでコミュニケーションの正解がいつまで経ってもわからなくて、言葉で表現しようとすると行き詰まったり不安に感じることもあります。そういうときに、自分を自由にしてくれる自分なりの表現を持つことって大事なのかな、と思って。私は最近、サイボーグとして自分の写真を撮ったりして表現しています。

これを受けてレイさんは「ぼくにとってはピアノでした。言葉にできない気持ちが込められます」と語り、続いてハセユミさんは、演劇を通した自己表現について語りました。

ハセユミさん 普段の人間関係の中では自分の中のどろどろとした気持ちは出さないですよね。でも演劇の中では極悪人にもなれます。しかも、本当に”極悪”な感じのほうが面白い。私は普段表現できない感情を、演技に込めることで表現しているのかもしれません。

レイさんにとってのピアノ、ハセユミさんにとっての演劇。そういったものを「持っていない」というユウキさんは、「いいですね、演劇!」と、ユミさんの言葉に心が動いた様子。レイさんは、「演技をしたことなんてまったくないけど…」と、日常の中にある「演じる」という行為について言及しました。

レイさん 僕はずっと地声ではない高い声を使って、演じて生きてきました。演じてるってわかってもらえなくて辛かったけど、きっとみんな何かしら演じて生きているんですよね。そう思えば楽になるかもしれないし、その演技がしんどいと感じたらやめる、という自由は必要だと思いました。

「誰もが演じて生きている」と語ったレイさんに続いてトモさんは、「演じなくてもいい居場所があれば楽に生きていける」と語りまた。

トモさん 僕は「空き家レンジャー」という活動に参加しているんですが、そこではみんな”カラーネーム“だけで呼び合います。僕は「ブラウン」って呼ばれていて、みんなは僕の本名も仕事も知らないんですよね。お互いによくわからないけど、その集まりが僕にとっては変な居場所と言いますか、そういう場が生まれてなんだか面白くて心地いいんです。みなさんも、男女も何も関係なく、演じる必要がない場を持ってみると楽なんじゃないかな、と思いました。

自分なりの表現を持つこと、いつもとは違う自分でいられる場を持つこと、そしてそれが違うと感じたら、すぐにやめるという自由とともにあること。本質的でありながら、実に軽やかに交わされた後半の対話から導き出された「楽」に生きるためのヒント。

参加者の方からは「何かを導き出さないのが哲学対話あだけれど、終了し、一人になってから、“何かを導き出したい欲求”にかられています」なんて感想が届きましたが、ここで語られた小さな種が、今回集った参加者のみなさん、そしてこのレポートを読んでくださったみなさんの日常で芽吹き、少しでも生きやすい日々へとつながっていきますように。心からそう願いつつ、このレポートを終えたいと思います。

Group photo at the end

 

この場の安心を、社会へと広げるために。

今回のイベントを終えた那須は、「2極で語らない方々が集まって安心感のある場になっている。私の伝えていきたい世界観の輪が広がっているのを感じられてうれしい」と振り返りました。回を重ねるごとに、参加者間の共通認識が増え、安心が広がっているのを感じます。さらにここ数回は、「生きにくい世の中を語らずに楽しく前向きに聞くことができてとても良かった」という参加者の方の感想に象徴される通り、困りごとを重く捉えずに笑い飛ばす軽やかさも加わってきました。

また同時に、多様性が増し新たな人も受け入れる包容力も高まっているのも確か。ですので、参加に少し不安を感じている方も、ぜひ少しの勇気を携えて「みみここカフェ」に飛び込んで来てくださいね。あなたという存在がかけ合わさることで、この場の多様性はさらに豊かになり、この安心が社会へと広がる一歩になるのですから。

次回「みみここカフェ」は8月29日(日)の開催を予定しています。4Hearts一同、みなさんとの出会いを心から楽しみにしています。

 

[文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]

※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。

 

お知らせ:NHK『ろうを生きる、難聴を生きる』にて放映決定!

「みみここカフェ」の様子や4Heartsの活動について、NHK『ろうを生きる 難聴を生きる』で紹介されます。ディレクター宮下玲さんが私たちの思いに真摯に向き合い、番組にしてくださいました。ぜひご覧ください。

放送日(予定) 2021年7月3日(土)午後8時45分〜午後9時00分
再放送(予定) 2021年7月9日(金)午後0時45分〜午後1時00分