笑顔の先に、あらゆる障害のない社会を見据えて。
[第6回みみここカフェ イベントレポート]
「みみ」と「こころ」、「聴こえる」と「聴こえない」をつなぐ「みみここカフェ」。
聴こえない・聴こえにくい方々が安心して困りごとを話せる対話の場として、2020年10月より隔月で開催してきました。回を重ねるごとに参加者の多様性も増し、聴覚障害のみならず、視覚障害、精神疾患、LGBTQ、難病など、さまざまな特性の方の想いが交わり合う場に。参加者の方々のありのままの言葉を受け取り、主催の私たちも学びと気づきの連続。「こころをことばに」することの価値を再認識しています。
7月にはNHK『ろうを生きる 難聴を生きる(※)』でも放映され、全国から反響が寄せられた本イベント、第6回目となる今回はどんな対話が交わされたのでしょうか。みなさんの言葉に耳を傾けてみましょう。
(※)『ろうを生きる 難聴を生きる(※)』ダイジェストはこちらからご覧いただけます。 https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/1786/
※過去の「みみここカフェ」レポート
【第1回 2020年10月開催】障害をこえて誰もが心通じあえる社会は、つくれる。
【第2回 2020年12月開催】誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。
【第3回 2021年2月開催】ごちゃまぜだからこそ、”自分”がわかる。わかりあえる。
【第4回 2021年4月開催】「あなたのことをわかりたい」。支援する側・される側、その想いが交わるとき。
【第5回 2021年6月開催】「聴こえる・聴こえない」「男・女」じゃなく、「私は私」。”2極の世界”から飛び出して、軽やかに生きるために必要なこと。
期待も不安も、そのままに。
2021年8月29日、緊急事態宣言のなかで迎えた夏休み最後の日曜日。リピーターの方4名に加え、今回は7名が初参加。難聴、LGBTQ、精神疾患といった特性に加え、年齢(高校生から高齢による難聴の方まで)や地域(神奈川県の他、愛知県、埼玉県など)、参加動機も実に多様なみなさんがオンラインで顔を合わせました。
冒頭の自己紹介タイムでは、2回目参加者・ユウさんの「前回参加してスカッと心が晴れた。あんな快感はなかなかなかった」という言葉や、4回目にしてすでに常連とも言えるレイさんの「ここでアイデンティティを見つけられて生きやすくなった」という言葉をうれしく受け取り、また、初参加の方々の「聴こえない方の本質的な気持ちを知りたい」「ずっと気になっていてやっと参加できた」という期待、そして「楽しみだけどうまく話せるか不安」という複雑な気持ちもそのまま真摯に受け取りながら、今回も哲学対話がスタートしました。
「思い込み」や「決めつけ」から自由になるために
まずテーマとなったのは、「思い込み」と「決めつけ」について。ジェンダー・フルイドを自認しているレイさんは、自身の経験をこう語りました。
レイ:那須さんが、手話ではなく口語を使うと耳が聴こえると勘違いされると話していましたが、「◯◯なら◯◯なはずでしょ?」という思い込みって世の中にいっぱいあると思います。ぼくはぬいぐるみが好きで「やっぱり女の子じゃん」とか言われますが、男の子でもぬいぐるみが好きな子はいるはずですよね。そういう思い込みで決めつけられた経験のある方がいれば教えていただきたいです。
レイさんの問いかけに手を挙げたエンドウさんは、自閉症の息子さんに関して思い当たる節がある様子。
エンドウ:息子はしゃべらないと自閉であることが全くわからないので、外見だけで判断されて理解してもらえないことがあります。
一方で、手話や障害に興味があるという高校生のアオイさんは、障害とは別の「決めつけ」について語りました。
アオイ:私は普段明るい性格なので「悩み事なさそうだね」なんて言われますが、それも決めつけですよね。そう言われてしまうと、自分が元気じゃない一面を見せづらくなってしまいます。
障害の有無にかかわらず、誰もが一度は経験している「決めつけ」に対する共感の中で、ユミさんは、「家族でもわかってもらえない」と、語り始めました。歳を重ねて難聴になったユミさん、ご家族がこれまでと変わらず、ユミさんが聞こえているかのように話すことに苦しさを感じている様子です。
ユミ:相手はなかなか変わらないと思っています。いくら自分が心を解放して話しても、自分が思うような対応をしてもらうのは難しい。だから私は、自分が行動しなくてはいけないと思うようになりました。「相手が自分のことを察してくれるんじゃないか」というのは甘えでしかなくて、自分からしっかり声をあげていかないとダメ。「みみここカフェ」に出るようになってから、そう思うようになりました。
相手が変わることを期待するのではなく、自分からしっかり声をあげていく。ユミさんの強い意志を感じる発言を受けて、難聴で補聴器を付けて暮らしているヒラモトさんも「自分が変わっていかないと」と、続けました。
ヒラモト:確かに私たち難聴者は、言葉が話せるのでなかなかまわりにわかってもらえないですよね。私は良く「とにかく、ゆっくり、はっきりしゃべってください」と言います。自分の状態を伝えるだけじゃなくて、「こうしてほしい」と伝えるのが大事。でもそれができるようになったのは最近で、それまでは引け目を感じてなかなか言えなかったんですけどね。
4Hearts代表の那須も、「私も最近自分のことを言えるようになりました」と続けます。
那須:なぜ話せるようになったかというと、自分のことを少しずつ人に話して自分を分析していったから。この「みみここカフェ」も、自分について話すことで自分を発見してもらえたらいいな、と思ってやっています。できれば若い人が早くそのことに気づいて生きやすくなってくれたらいいな、と思いますが、その人の中で準備期間も必要なのかもしれません。
「もっと早く」という思いは、ユミさんも同じだそう。
ユミ:私も年齢がいったからある程度覚悟ができたけど、もっと早く相手に情報保障を求めることができたら…もったいない10年だったと思います。
私も同じ…かも?
続いては、「聴覚情報処理障害」についての話題に。参加者のイチカワさんが自己紹介で開示してくださった病名ですが、ユミさんは「私も同じかも?」と思われたそう。
ユミ:「聴覚情報処理障害」という言葉は初めて聞きました。音として聞こえても、何を喋っているかわからない状態が続いているんです。聴こえているのに音を言葉として認識できないのが本当に辛くて…。
「私も同じ」とヒラモトさんも続けます。
ヒラモト:私も、どんなに大きな声で喋ってもらってもわからない言葉があります。オウム返しして確認すると、全然違うことが多いですね。そういうときは別の言い回しをしてもらいますが、何回も聞き返すと嫌な顔をされる。それが難しくて辛いところです。
ユミさんとヒラモトさんの話を聞いていたイチカワさん、「ふたりの話を『そうそう!』と思って聞いていました」と、ご自身の特性について語り始めました。
イチカワ:私は聴覚情報処理障害に加えて、感覚過敏の症状もあるんです。音は聞こえすぎるほど聞こえているのですが、ヒラモトさんがおっしゃったように、音が意味を持った言葉として頭に入ってこないんです。私は2年ほど前にそのことに気づいて、それ以来自分に無理がないように生活するようにしていますが、それまでは社会のスピードや人との会話についていけなくて、コミュニケーションエラーが起きやすかったです。
そういう特性を持って生まれた自分を負い目に感じたこともありましたが、人はそれぞれ違って当たり前だし、そんな自分を自分がまず肯定して、そのままの自分としてどう生きていくか、ということを伝えていくことが大事なんだと思います。
イチカワさんの言葉に「私もまさにそう。自分のまま生きていきたいですよね」とユミさんはあたたかなエールを贈り、ヒラモトさんも、「私も人の話を聞いているだけで精一杯」とさらに共感の言葉を重ねました。
ヒラモト:私は人数が増えていくと取り残されている感覚になります。4人くらいで冗談を言っていると入っていけなくて、わからないのに笑う、みたいな変な体験をしてきました。
ユウさんもチャットを通して、
ユウ:私も人数増えると辛いです。飲み会では左隣の人の声しか聞こえません。
と、共通の悩みを打ち明けてくれました。
障害は、人ではなく社会の方にある。
みなさんの悩みの共有を受けて、那須は「私もスピード感を求められる場面はすごく辛い」と語り、その本質的な解決策として考えていることを話しました。
那須:文字認識などのテクノロジーも必要ですが、やっぱりそれはサポートに過ぎません。やはり人の意識が想像の方に向かないと、本当の理解にはつながらない。そういう想いから、「スローコミュニケーションプロジェクト」を立ち上げました。
スローコミュニケーションプロジェクトは、相手のことを思い至りながら「ゆっくり伝える」、「ゆっくり受け取る」という”スロー”なコミュニケーションを社会の当たり前にしていくソーシャルプロジェクト。4Heartsがこれからの軸として見据えている活動でもあります。(詳しくはこちら https://4hearts.net/info/2422/ )
レイさんは、うまくわかりあえない相手に対する捉え方に、新たな視点を投げかけてくれました。
レイ:「想像力の欠如」とも言われますが、それは性格や悪意の問題ではなく、ひょっとしたら、その方の特性なのかもしれません。大人の発達障害やそのグレーゾーンの方は結構いらっしゃるそうです。そうした特性は見た目ではわかりにくく、ご本人も気づいていないということもあるようですので、そういった難しさはあると思います。
レイさんの発言に対して、「社会にある障害」について言及したのは、ユウさん。
ユウ:3年ほど前に、「個人ではなく社会に障害がある」ということを聞いて、それが自分の実感として入ってきています。個人にあるのは特性で、その特性がゆえに社会に障害があるから入っていけない。誰もがいろいろな特性を持っているのに、それを隠さないと生きていけない社会って本当に障害やバリアがバリバリの社会ですよね。特性を持っている人が声をあげていかないと社会からバリアを取り払うことは難しいのかな、と思いました。
ここでアオイさんは、「聴こえる・聴こえない」の壁というバリアを取り払う手法として「英語を学ぶ感覚で手話を学べたらいい。そのためにはどうしたら?」と問いを投げかけました。応答したのは、手話勉強中のミカさんです。
ミカ:私はたぶん、英語を勉強するのと同じ感覚で手話を学んでいます。それは「友達の気持ちを知りたい」と思ったからなんですね。それが遠くの知らない国の人ならきっと興味を持ちにくい。私は難しいことはわかりませんが、今日みなさんの存在に気づいて気持ちを理解することができました。きっと私みたいにみなさんの気持ちをわかりたいと思う人が少しずつ増えると思うので、情報発信をして伝えてほしいです。
ミカさんはさらに、アオイさんに手話の勉強方法もアドバイス。手話の世界に足を踏み入れようとするアオイさんを、みんなで応援するあたたかな空気が生まれました。
アンケートの「男女」チェック欄、本当に必要?
哲学対話を終え、ここからはフリートークの時間に。まずはワクチン接種券のアンケートが話題となりました。
ユウ:接種券に男女のチェックを入れずに行ったら、「こちらに記入していただいてもいいですか?」と困惑した様子で言われ、チェックしたんです。友人も同じことを言われて、チェックしなきゃだめか聞いたら、「どちらにチェックしてもいい」と言われたそうで。じゃあ性別欄要らないじゃないですか!って思いました(笑)。
レイさんも、同様の違和感を覚えたことがあったようです。
レイ:「多様性」を謳っている団体でも、アンケート等に性別欄があったりしますよね。それを主催者に指摘したら、「何も考えていなかった」と言われた事がありました。そういう悪気のない慣習が、社会のいろいろなところにあるんじゃないかと思います。一番置き去りにされている多様性は性別だと思うので、性別欄がないのが当たり前な社会になったときは、あらゆる差別も解消されているんでしょうね。
ユウさんとレイさんは、「男女チェック欄」にこんな感覚を覚えるのだそう。
ユウ:私にとっては住所欄に北海道と沖縄しか無い感覚です。
レイ:白黒テレビですよね。他の色がない。
一方、アオイさんが通う高校では、そういった慣習を問い直す教育が行われているようです。
アオイ:私の高校では、性別でも「これ聞くの本当に必要?」って先生から言われます。世代によって感覚も変わっていくのかな、と思います。
レイさんは、
レイ:それも大事ですね。でももうひとつ、「説明できなくていい」って認めてあげることも必要。それも含めての多様性なのかな、と思います。そういうゆるい感覚が広がってくれたらいいですね。
と応答。説明できてもできなくても、あらゆる感覚を包容できるバリアのない社会を、全員が思い浮かべた瞬間でした。
自分の可能性を自覚できるのは、自分だけだから。
最後に、アオイさんからレナさんに、こんな問いが投げかけられました。
アオイ:国際手話の通訳をされているとのことですが、どのような想いで活動されているか知りたいです。
生まれつき聴こえないレナさんは、アメリカ手話、国際手話など8言語を使い、パラリンピックの開会式でも手話通訳として活躍されていました。レナさんは、こうした活動を続ける理由について、大阪のろう学校生徒の交通死亡事故(※)を題材に、参加者のみなさんにこう問いかけました。
レナ:交通事故の裁判のときに、家族が損害賠償を請求しました。そのときに加害者側の家族がなんと言ったかご存知ですか?
アオイ:その子が大きくなっても平均的な収入は得られなかった、って…。
アオイさんの言うとおり、事故の裁判では、被害者(当時11歳)が将来得られたはずの「逸失利益」について争われていました。加害者側は健聴者と比べて思考力や学力が劣り就職も難しいために収入は一般女性の40%になると主張し、健聴者と同じだとする被害者の両親と対立していたのです。
(※詳しくはニュース記事をご参照ください https://www.asahi.com/articles/ASP245QN5P23PTIL00L.html )
レナ:私は、障害者の年収が40%という考え方は違うと思います。確かに私も手話通訳をお願いしたり情報保障にお世話になっていますが、アメリカやイギリスで学び、いまは8言語の手話ができるようになりました。パラリンピックの開会式に通訳として入ったのは、国際的な行事ですし、ろうの子どもたちのロールモデルになればいいと思ったからです。自分の良さや可能性を自覚できるのは自分だけなので、自分の力をどう使うかが大事だと思っています。
障害は、自分の力では変えられないもの。決してサボりでも怠けでもないので、それを否定するのは良くない。「あの人は聴こえないからこうだよね」と決めつけたり、ろうの文化を自分の知識だけで誤った発信をしている人もいますが、まずはろうの人と交流してみることが大事。その上で言語に興味があるなら、学ぶ手段はいろいろとあると思います。ここにいる人たちに聞いてみるのもいいですよね。
まずは…楽しみましょう!
レポートの最後に、ユウさんが紹介してくださった「MAZEKOZEアイランドツアー」の予告編動画をご紹介します。
パラリンピックの開催を機に、”多様性”をテーマに制作されたものですが、最後にこんなメッセージが出てきます。
「理解しましょう」も「支え合いましょう」も大事だけど、まずはいっしょに「楽しみましょう!」
みみここカフェはきっと、最初は「理解したい」「理解してほしい」という想いで参加する方が多いのではないかと思います。でも参加後のアンケートには、「気づきをもらいました」「勉強になりました」という感想とともに、こんな言葉が並んでいます。
「スカッとしました!」
「世界が広がりました」
「参加者の方の笑顔が輝いていたのが印象的でした」
こうやって振り返りながらレポートを書いていても参加者のみなさんの表情がどんどん柔らかくなっていくのを感じますし、この終了後の記念撮影が、みみここカフェ後の晴れやかな余韻をよく表してくれています。
次回の「みみここカフェ」は、10月17日(日)。あれこれ難しく考える前に、まずはあなたも一緒に、ありのままで話せる哲学対話を楽しんでみませんか?その一歩が、あらゆる障害のない社会へとつながっていくのですから。
[文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]
※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。