手話言語条例のその先へ

大阪府乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」を見学して~

Photo with hands together
NPOこめっこ

 

“1・2・3・パンパン(手を合わせる音)…”
お兄さん、お姉さんがリズムに合わせてスタッフや子どもたちの名前を呼んでいく。自分が呼ばれるのを見ると“はーい”と手を挙げる。NHKEテレの『おかあさんといっしょ』を思い浮かべるような光景です。違いがあるとすれば、お兄さん、お姉さんや子どもたちのほとんどが“きこえない”“きこえにくい”こと。

 2020年夏。大阪府の乳幼児期手話言語獲得支援事業の「こめっこ」「BABYこめっこ」を見学させていただきました。実を言うと、一般社団法人4Heartsがまだ市民団体として活動していた2020年1月にも、河﨑佳子教授のお招きで一度見学させていただいたので、今回は2度目の訪問です。

 2021年1月に行われた、2020年度大阪府手話言語条例シンポジウム『手話言語を獲得・習得する子どもの力研究プロジェクト ~手話で育ち、手話で学び、手話を学ぶことの大切さ~』からの引用も織り交ぜながら、こめっこ見学レポートを書いていきたいと思います。

 

大阪府手話言語条例第3条

 全国各地の都道府県や市町村毎に手話言語条例が制定されています。大阪府でも
2017年3月に大阪府手話言語条例が制定されました。
(手話言語条例・手話言語法についての記事はこちら

 大阪府の条例には、他では見られないこの第3条が入っています。

『大阪府言語としての手話の認識の普及及び習得の機会の確保に関する条例』
第三条(手話の習得の機会の確保)
府は、市町村、聴覚障害者の日常生活及び社会生活の支援を行う民間の団体並びに学識経験のある者と協力して、聴覚障害者が乳幼児期からその保護者又は家族と共に手話を習得することのできる機会の確保を図るものとする。

大阪府の条例より

 

 なぜ「乳幼児期からその保護者又は家族と共に手話を習得することのできる機会を確保する」ことが必要なのでしょうか。

 きこえる子どもはお母さんのおなかの中にいるときから周囲の音を聞いています。生まれた後も周りに言葉があふれていて、言葉のシャワーを浴びながら音声言語を自然に習得することができるのです。

親子間で共通言語でのコミュニケーションが成り立つということは「“わかる” “わかった”という安心の中で、自分の気持ちを伝えたりできる母語」の定着となって、その後の様々な学びに幅広く影響を与えます。

 しかし、きこえない乳幼児が言語を自然獲得するためには、視覚言語である手話を、音声言語と同様にシャワーのように見せていく必要があります。『言語の空白』が起きないように、日常生活の中で言語に接することが大切だからです。ところが、きこえない子どもの9割はきこえる親から生まれています。

 きこえる家族のもとにきこえない子どもが生まれた場合、手話言語を自然に獲得する環境がありません。だからこそ、乳幼児期から手話言語獲得を支援する仕組みが望まれていました。

 母語が異なることで、きこえない親ときこえる子どもの、親子コミュニケーションが成り立ちにくい問題が起きています。そういったことから、こめっこでは、きこえない子の「きょうだい児」であるSODAの子どもも受け入れています。

 

photo of playing
NPOこめっこ

 

こめっこの成り立ちと活動

 神戸大学大学院の河﨑佳子教授の研究実績や、大阪府手話言語条例検討部会での提言を受け、乳幼児が言語として手話を自然獲得する環境づくりを目指した「こめっこ」が設立、2017年6月17日にスタートしました。

当初は公益社団法人大阪聴力障害者協会が大阪府と連携・協力して事業を進めてきましたが、2020年4月よりNPOこめっこ(特定非営利活動法人手話言語獲得習得支援研究機構)が引き継ぎました。2020年6月には、新設された大阪府立福祉情報コミュニケーションセンターに本拠地を移して活動しています。そして、大阪府との連携、大阪聴力障害者協会との協力関係は維持されています。

 乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」の目的

1.子どもの手話獲得ならびに保護者の手話習得を支援すること
     子どもたちには手話を教えるのではなく、遊びを中心とするかかわりを通した自然獲得。
     また、保護者には日常生活 や育児の中ですぐに使える単語や短文などの手話表現を学ぶ支援。

2.同一化できる対象(ロールモデル)を得ることによって、子どもの健全なアイデンティティ形成を促すこと
    ろうの青年や成人と出会うことによって「きこえない人がいるんだ」「ありのままの自分でいいんだ」という健全なアイデンティティ形成の支援。

3.手話の獲得・習得の支援、ロールモデルとの出会いをとおして、保護者が安心して子どもの「きこえ」を受け入れ、手話コミュニケーションを親子で体験できるようになること

4.手話コミュニケーションを親子で体験することにより愛着形成を確かなものにすること

  

この4つが「こめっこ」が出発した当初の目的で、活動が広がってきた今も大切な基本目標としているそうです。

 

Picture book reading photo
NPOこめっこ

 

 「こめっこ」での活動を見てみると、子どもたちに対しては手話ぱんぱん、絵本よみ、手話表現遊び、遊びのルール説明など手話でコミュニケーションをとっています。 (『こめっこぱんぱん』などのこめっこ動画はこちら NPOこめっこ – こめっこ動画を一部ご紹介 (google.com) )

手話ぱんぱんについて
手話ぱんぱんは、ネイティブサイナーが日本手話から作り出す作品です。その表現に含まれる固有のリズム、間合いや流れ、動きの抑揚や強勢は、まさに手話のプロソディーといえるでしょう。こめっこでは、活動の中でこの手話ぱんぱんをとても大切にしています。
こころ惹かれる手話ぱんぱんを繰り返し楽しむことで、幼いこどもたちは自然に手話を吸収していきます。また、手話の意味とリズムを活かした日本語訳を工夫しています。

手話言語獲得支援DVD『まいにちこめっこ まいにちべびこめ』パンフレットより引用

 

みんなの前に立つのは日本手話を獲得した(ネイティブサイナー・バイリンガルサイナー)ろうスタッフです。
また、その他のスタッフも子どもたちと手話でかかわっています。

決して強制すること無く子どもたちが自分で考えて意思表示し、スタッフもそれを受け止めているという印象を受けました。絵本読みなども強制的に座らせずに、その子が嫌と言えたらそれすらを褒めているのです。

手話を教える場ではなく、あくまでも子どもたちが目で見る手話という言語をしっかりと自然に吸収しています。

そして、きこえる赤ちゃんが「まんま」「ブーブー」などの「赤ちゃんことば」「赤ちゃん表現」をするようになるのと同じように「顔の横で開いた手を回す動作(ピーポーピーポー)」「花が咲く動作(おはな)」「ぶどうをたべる動作」など手話を表出するようになります。スタッフがその動作を見て、こう言っているねときこえる保護者に伝えてひとつずつ紐付けていきます。

きこえる保護者は手話がわからないので、活動の中で交わされる手話言語でのやりとりのすべての情報がわかるように読み取り手話通訳(音声での情報保障)がついています。

その場にいる誰もが取り残されず、“わかった”という安心感のなかに包まれることが、親子間の心理に大切だと考えているからです。

 

Baby classroom photo
NPOこめっこ

 

他にも0~3歳児を対象とするBABYこめっこ、こめっこを卒業した後の子どもを受け入れるMOREこめっこといった活動も展開しているそうです。

BABYこめっこ (2018年4月より 大阪府の委託事業として活動開始)
対象は、主に0~3歳のきこえない子どもをもつ家族  現在は週2日午後
◎保護者の手話習得支援
◎子どもの発達や関わり方等に関する、個別相談支援(心理士スタッフ)
◎手話のあふれる環境でのあそび(ネイティブサイナーとのふれあい)
 
MOREこめっこ (2020年6月から 日本財団の助成を受けている)
就学後も、きこえない子どもたちが集い、手話であそび、手話で語り合う。
手話で学び、手話を学ぶ。知識を広げ、思考力を磨く。

 

 

こめっこが重視していること

・ルールがわかる
・プロセスがわかる
・「わかること」「伝えられること」を実感する
・多くのロールモデルと出会う

⇒マジョリティー体験をする

2020年度NPOこめっこシンポジウムスライドより

幼児、子どもたちは「こめっこ」を通して、こうしたマジョリティー体験をします。自分で考えること、それを伝えることができるという体験が、自己肯定感をあげることにもつながっていきます。

ママ・パパはこめっこをとおして
・ルールがわかる子どもを知る
・プロセスがわかる子どもを見る
・笑顔いっぱいに楽しむ子どもを見る

⇒目で生きる子どもであることを実感する

2020年度NPOこめっこシンポジウムスライドより

保護者は「こめっこ」を通して、自分の子どもが目で生きるということを実感することができます。また、日常生活や育児で使える短文や単語などを「こめっこ」で学びます。そうして親子でのやりとりが安心感のなかで通じることにより、愛着形成につながっていくようになります。

 

Photo of what you see with your eyes
NPOこめっこ

 

「こめっこ」の手話言語獲得支援という活動は、療育や医療と相反するものではありません。聴能訓練や口話訓練、また人工内耳装用による聴覚活用をとおして日本語習得を支援することと、両輪で捉えているといいます。手話言語を早期に獲得し、言語とは何か、コミュニケーションとは何かを知って育つということが、日本語習得にも寄与すると説明しています。

手話言語は人工内耳の訓練や日本語の獲得に、邪魔になるものではないといいます。言語の空白が起きないよう、視覚で習得できる手話で思考し、手話で伝える「手話言語」という母語を持った上で、第二言語としての日本語を学ぶ。あるいは、補聴器や人工内耳による聴覚活用を活かし、日本手話と日本語をほぼ併行して獲得する。そういったことが、きこえない子どもたちにとって必要だとしています。

 きこえない・きこえにくい子どもたちが大きくなった時に、どの言語を使い、どう生きていくかは自分で選択します。手話言語という母語を奪わず、選択の幅を広げるために選択肢を増やしてあげることが大切なのでしょう。

 親・乳幼児心理臨床を専門とし、乳児院や児童養護施設等で心理発達支援をつづけてきた知見が活きていると、河﨑佳子教授はいいます。親子の心の在り方、安心の中で“わかる”こと、通じ合えること。『言語の空白』を作らず、温かな場において分かりあう心の養育のうえで、母語獲得を重視すること――。

手話言語という側面だけでこめっこを捉えて欲しくない、という思いを感じました。

 

 全日本ろうあ連盟でも、第67回全国ろうあ者大会(2019年6月16日)において、「ろう乳幼児が手話言語を獲得・習得できる機会の保障を目指し、新生児聴覚スクリーニング検査における環境整備を求める特別決議」が出されました。
https://www.jfd.or.jp/info/2019/20190616-zenkoku-.pdf

新生児スクリーニング検査で早期に子どものきこえがわかるようになっている今、自分の子どもがきこえない・きこえにくい事実に直面している保護者の気持ちを受け止め、寄り添い、安心して子育てをしていける「こめっこ」のような場所が必要なのではないでしょうか。

 

神奈川県での取り組み「しゅわまる」

 大阪府乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」をモデルに、神奈川県聴覚障がい児等手話言語獲得支援事業「しゅわまる」が始まりました。

神奈川県が神奈川県聴覚障害者連盟に委託し、きこえない・きこえにくい子どもとその保護者に向けて、手話による活動や遊びを通して手話言語を自然に獲得できる交流会を2020年11月7日よりスタート。
毎月第2・4土曜日にあーすぷらざ(横浜市栄区)で定期開催予定。
https://www.facebook.com/shuwamaru/
チラシ⇒(https://www.dropbox.com/s/rs359is91fg3kvt/202105-07.pdf?dl=0)

Photo expressed by the body
NPOこめっこ

   

手話言語条例のその先へ

 2013年10月に鳥取県で日本初の手話言語条例が制定されてから、手話言語条例成立自治体数は374自治体(29道府県/14区/273市/56町/2村)に広がっています。(2021年2月5日現在)(全日本ろうあ連盟 » 手話言語条例マップ (jfd.or.jp)

そうはいっても、手話言語条例が成立することが目標ではなく、成立したあとどのように推進していくのかが重要なのではないでしょうか。
大阪府乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」のように医療、療育、教育、福祉、行政等の連携を目指す支援体制が、地域格差の無いように全国的に広がっていくことに期待したいです。

一般社団法人4Heartsの代表をしている那須は、「国際障害者年」が宣言された1981年に先天性両感音性難聴として産まれました。聴覚障害の発覚は4歳で、当時はまだまだ手話が世間でもタブーの時代でした。

比較的遅い障害発覚だったため、母は医者に言われるまま難聴幼児通園施設『ひばり学園』に通い始めたのです。口話教育に力を入れていた加藤幸二先生のもと、補聴器がたまたま自分に合っていたこともあり、聴者と変わらず話せるようになりました。いわば、口話教育の「成功例」のようなものだったのです。

しかし、4歳まで言語的には空白に近い状態を過ごし、小学校にあがるまでの2年で発声とことばを”詰め込んだ”だけの私にとって、障害理解や自分の気持ちと言葉の乖離なく相手に伝える力は、乏しかったように思います。特に、一般の学校に進学し周りに自分と似たきこえない人がいなかったことも大きかったかもしれません。実際、高校でろう学校に進学し、周りがきこえない人たちばかりの環境に置かれてはじめて、”きこえない”ということはどういうことかを理解しました。

母は振り返って言います。ひばり学園では、保護者に手話を教えることもあったし、私に手話を覚えさせるかどうか迷ったこともあった。でも、2年という限られた時間で、プライベートでもごたごたしているなか、追い立てられるように訓練の日々だった当時は、ゆっくりそのことを考えている余裕もなかったと。

もしも、当時。
乳幼児期から言語が保障され、きちんと選択肢があったなら。偏りなくちゃんとロールモデルをふまえた情報があったなら。医者が提示する選択肢が複数あり、様々なサポートの元で選択できたなら。そして、発達段階において追跡してフォローを受けられる体制があったなら――。

子ども自身に合うものを選択することが一番良いのですが、時代や環境、情報によっても左右されると思います。どれが正しいのか…きっと正解は一つではありません。ひとつひとつの選択肢を組み合わせて、新しい選択肢をつくっていくことも大切だと思います。

大阪府乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」も、一般社団法人4Heartsも、それぞれの思いで『if…』を形にしようとしています。

 

取材協力:大阪府
     NPOこめっこ
     河﨑佳子(神戸大学大学院教授,こめっこスーパーバイザー)
写真提供:NPOこめっこ
取材 :那須かおり 津金愛佳

大阪府乳幼児期手話言語獲得支援事業「こめっこ」
https://www.comekko.com/

大阪府/「大阪府言語としての手話の認識の普及及び習得の機会の確保に関する条例」の施策について (osaka.lg.jp)

神奈川県聴覚障がい児等手話言語獲得支援事業「しゅわまる」
https://www.facebook.com/shuwamaru/

全日本ろうあ連盟
ろう乳幼児が手話言語を獲得・習得できる機会の保障を目指し、 新生児聴覚スクリーニング検査における環境整備を求める特別決議(2019年6月)
https://www.jfd.or.jp/info/2019/20190616-zenkoku-.pdf

人工内耳に対する見解(2016年)
全日本ろうあ連盟 » 全日本ろうあ連盟の人工内耳に対する見解 (jfd.or.jp)