誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。

[第2回みみここカフェ イベントレポート]

Mimikoko cafe opening photo


「聴こえる」「聴こえない」をこえた対話で、“みみ”と“こころ”をつなぐ「みみここカフェ」。一般社団法人4Heartsとして初のイベントとなった初回(2020年10月開催、レポートはこちら )に引き続き、2020年12月13日(日)、第2回が開催されました。

当日は初冬の青空が広がり、開始時間にはポカポカ陽気に。今回も満員御礼。前回にも増して”ごちゃまぜ”な参加者から生まれたあたたかな熱量を、レポート記事を通してみなさんにお伝えします。

 

誰もが“特性”を持って、生きている。

Photo at the start of Mimikoko Cafe
会場は、茅ヶ崎駅北口にあるコワーキングスペース「チガラボ」。
聴覚障害のある方2名、健聴者7名、合計9名の方が集いました。

この日の参加者は9名。最初に行われた自己紹介タイムでは、一人ひとりが自分のことばで、今の想いを表現しました。

「大人になってから聴覚が落ちて、同じ立場の人がいなくて悩んでいました」
「2人の小さな子どもがいて、今は育休中の聴覚障害者です。社会とのつながりが少ないので今日は久しぶりに手話で話せるのを楽しみに来ました」
「演劇を通して手話の素晴らしさを知り、手話と近づきたいと思いました」
「聴こえない人の生活を知りたいけど、身近にいなかった。今日は触れ合えるのを楽しみにしてきました」

聴こえる人、聴こえない人。それぞれの想いが交わり合う中で、「聴覚障害」ではない自分の”特性”を話してくださる方も現れました。

「視覚障害を持っていて、五感の一部が欠けた状態で暮らしています」
「体は女性ですが、一人称は“ぼく”がしっくりきます。人と違うことが誇りです」
「高校生のときに、病気で失明するかもしれないと言われた経験があります。今は少しだけ人より不自由な生活です」

障害者手帳を持っているわけではない人も、誰もがそれぞれに特性を持って生きている。そんな一人ひとりの生き様に、それぞれの参加者が思いを馳せる。

そんな空間のなかで、コミュニケーション方法の異なるみなさんの理解を支えたのは、手話通訳、そして、音声認識ソフトです。マイクを通して発せられた言葉が、次々に画面に映し出されていきました。その正確さには、参加者のみなさんも驚きを隠せなかった様子。

時々現れる誤変換はご愛嬌として受け取りながら、「わかる」「伝わる」ことが安心感として場の温度をあたためてくれていました。

Mimikoko Cafe Sign Language Interpreter Photo
日は、2名の手話通訳が参加者間のコミュニケーションをつなぎ、
ビジョンには音声認識アプリ「Speech to Text Webcam Overlay」※(くわしくはこちら)による文字が表示されました。
さまざまな方が参加される「みみここカフェ」では、情報保障を大切にしています。

 

気を使って自己開示できない…。マイノリティの立場から見た社会の姿。

4Hearts代表の那須かおりによる挨拶と団体紹介のあとは、今回も「哲学対話」の時間に。

「何を発言してもよい」
「他者が発言したことに対して否定的な態度をとらない」
「発言せず、ただ聞いているだけでもよい」
「知識ではなく、自分の経験に即して話す」
「話がまとまらなくてもよい」

といったルールで、誰のどんな意見も尊重される「哲学対話」は、「みみここカフェ」のメインコンテンツです。今回は代表の那須かおりが進行を務めました。

Mimikoko Cafe Photo of the start of dialogue

 

ここからは「哲学対話」で交わされた対話の一部をご紹介していきます。

聴覚障害を持つママであるカッキーさんは、手話を使いながらも、とても美しい発声で話される方。障害を気づかれないことが多く、コミュニケーションに難しさを感じているようです。

カッキーさん「コロナでマスク社会になってしまって、細かいコミュニケーションは遠慮するようになってしまいました。聴覚障害者は手話でしかコミュニケーションできないと思っている人が多いのですが、そうではないことを知ってもらいたいです。最近は私が聴こえないとわかるとコミュニケーションボードを出してくれるお店も増えたので、もっと普及すると気軽に話せると思います。」

この発言を受けて、那須はうれしそうな表情を浮かべてこう話しました。

那須「私も似たような事を考えていて、手話特区をつくりたいんです。手話ができる店員さんがいたりコミュニケーションボードがあるお店にステッカーを貼って、聴こえない人も安心して行ってもらえるようにしたい。マスクは本当に居心地悪いですよね。私たちは相手が『たぶんこう言ってるんだろう』と想定しながらコミュニケーションを取っている部分もあるので、マスクで口元が見えないと、細かいところがわからずにとても気を使います」

Mimikoko Cafe Photo that talks about experiences

 

那須の発言に共感したのは、視覚障害者のアベさん。

アベさん「私も思い当たります。いつも健常者のリズムを乱さないように気を使っている自分がいます。お店でもメニューをじっくり見ずに必ずありそうな『アイスコーヒー』と言ってしまう。自分がそうしたいのか、それともまわりを乱さないためにやっているのかわからなくなるくらい、まわりに合わせようとしているんですよね。

目が見えない人も耳が聞こえない人も、一見わからないので、それを開示しないままある程度やりとりができてしまいますよね。開示しないで自分が伝えたいことを伝えないままコミュニケーションを取ることに、みなさんはストレスはありますか?」

アベさんの問いかけに再びマイクを受け取ったカッキーさんは、こう続けました。

カッキーさん「うなずけるところが多いです。社会のマイノリティの宿命なのかな、と思うのですが、どんな障害でも少数派は我慢を強いられます。今は優しい人も増えていますが、ときどき傷つくこともあります。子どもに声をかけてくださった方が私が聴覚障害であることに気づき、『お母さん聴こえないのかわいそうね』と言ったのはキツかった。聴こえないことを開示するのが、必ずしも期待した人間関係につながるとは限らないと思っています。」

那須も実体験から、現在の社会構造のなかで生きる上での課題を感じています。

那須「私は口話教育で育ち、高校でろう学校で手話の環境に入ったこともあって、ロールモデルがいなくて自己理解が遅かったんです。だから自己開示の仕方を言語化することができなかった。今は「耳が聴こえないんです」だけではなく「耳が聞こえないからチャットで指示をしてください」ってはっきり伝えないといけないことがわかっているのですが、それは誰も教えてくれませんでした。それは社会課題だと思います」

 

“人と人”として向き合うということ。

障害を持つ立場のみなさんの言葉に耳を傾けていたレイさん、ここで手を挙げて発言してくださいました。

レイさん「みなさん『健常者のリズムについていけない』とおっしゃっていますが、ついていけていない感覚は聴こえる人にもあると思いますし、自己開示についても同じです。たとえば私は自分のことを『ぼく』と言いますが、『この人の前で言っていいのかな』という葛藤はやっぱり常にあって、でも、それを楽しんでいます。そういうことを説明する以前に、生きている人同士として向き合う姿勢が大事だと思いますし、人と人としての理解がないと前に進めないと思う。『障害』という言葉も要らないと思います。」

Mimikoko Cafe photo that Conversation of people facing each other

 

この言葉には、会場の「聴こえる」人々が大きく頷き、深く共感している様子がうかがえました。会場の片隅で聞いていた私も、同じです。誰もが弱いところや人と違う特性を持っているのに、障害者の方々が私たちのことを相対するものとして「健常者」というひとくくりで見ていることは、とても寂しく、切なく感じました。本来は、誰もが同じ「人」で、障害がある・なしによる境界なんて無く、世界はグラデーションでできているはずなのに。

そんな会場のみなさんの感情を察するように、カワカツさんは、聴覚障害者の立場から、こんな声をきかせてくださいました。

カワカツさん「私はコンビニで困ることはないですね。補聴器を見せればジェスチャーで伝えてくれますし、コミュニケーションはスムーズにできます。笑顔を見せることが大事だと思います。電話もリレーサービスを使っているので、問題ありません」

「リレーサービス」とは、聴こえない人・聞こえにくい人が聴こえる人へ気軽に電話がかけられるサービス。オペレーターがその方の手話言語や日本語の文字を相手に音声でリアルタイムに伝えます。そういった便利なサービスが普及しつつある一方、まだまだ障害者の立場に寄り添えていないインフラの現状もあるようです。カワカツさんの発言をきっかけに、障害者のみなさんから、次々に困りごとが飛び出しました。

那須「先月体調が悪くなってLINEで発熱外来予約センターに連絡をしたら、折返しが電話でした。出られないから諦めたら、夜間に悪くなって入院になってしまって…。行政側は介助者がいることを想定していて、私みたいな一人暮らしは想定していないんですよね。」

カッキーさん「横浜市の補聴器の申請は確認が電話でした。クレジットカードの本人確認も、電話。結局誰かの力を借りないとできないことが多くて、そんな社会システムに悔しさを感じます。」

カワカツさん「手話通訳を使える範囲も決まっていますよね。自分の活動には使えません。」

那須「私も産業カウンセラー養成講座に手話通訳が必要で県に派遣を依頼したら、102万円と言われました。さすがに厳しくて、値段交渉したり知人にボランティアに入ってもらったりしてなんとか通いました。私は聴こえない人を支えたいと思って活動していますが、こういったハードルがあるのは残念です」

カワカツさん「友達がヨガの講師になりたくて学校に入ろうとしたら、通訳がいないと断られた事もあったそうです。カフェを開くための学校も同じでした」

カッキーさん「義務教育や職場では情報保障を求めやすいですが、自己啓発や資格取得の場面ではすごく難しいですよね。趣味や知識を豊かにしたくても、我慢することが多いです。那須さんみたいにハードルがあったときに交渉したり仲間のネットワークを持っているのはすごいな、と思います」

そんな一人ひとりの悩み事、そして「那須さんはすごい」という言葉を受けて、那須は最後に、活動に込めた思いと自分の現在地について話しました。

那須「『みみここカフェ』の初回にも、聴こえないことを誰にも言えなくて悩んでいる人が来てくれましたが、社会から置き去りにされている人もいます。そういった困りごとを社会が知らないので、伝えないと理解は深まりません。誰かが聴こえる人の中に飛び込んで言わなくちゃならない。私も一生懸命やっていますが、ときどき苦しいんですよね。助けてもらって申し訳ないな、と考えて自分を下げちゃうこともあります。でも、周りの人に「そうじゃないよ」と言われながら、一生懸命自分を上げているところです」

そんな那須に共感したのは、視覚障害者のアベさんです。

アベさん「すっごくよくわかります。いまは配慮があるなかで働いていますが、僕じゃなくて健常者がそこに座っていたら、そのぶんやらなくていいこともあるわけですよね。申し訳ない、ここに居させてもらっている、と、自分をおとしめて判断しているところがすごくあるんです。自分の中でいつも葛藤していて、優しさに素直に「ありがとう」と言えないことを、また苛んだり。自分もずっと葛藤の中にいることを感じました」

4Heartsを立ち上げて活動を続ける那須のことは、「すごい」という声も多くいただきます。それはとてもありがたいことですが、那須自身も大きな葛藤のなかにあり、苦しさも抱えています。もちろんそれは、健常者と呼ばれるみなさんも同じなのでしょう。

そんな弱さもさらけ出し、「みんな違う」けれども「みんな同じ」であることが共通認識として生まれた哲学対話の時間。誰もが障害や特性を超えて、「人と人」として向き合えた時間だったと感じます。

 

Group photo at the time of completion

 

対話後の懇親会も、参加者のみなさんの対話は続きました。哲学対話を通してお互いを知り、その弱さも含めて受け止め会えたみなさんの話は、いつまでも尽きることなく、これからのつながりを約束し合う場面も多く見られました。

 

Photo of the social gathering after the end

 

photo of conversations with 4Hearts members

 

誰かと誰かがつながり、手を取ることで、伝えられること、できることは格段に大きくなります。対話を通してつながりあったみなさんとともに、4Heartsはこれからも社会に向けたメッセージを発信し続けて参ります。

次回「第3回みみここカフェ」は2021年2月7日に開催する予定です(詳細は後日、このサイトにてお知らせ致します)。聴こえる人も、聴こえない人も、どうぞお気軽に。新たな出会いとつながりを、心から楽しみにしています。

Mimikoko Cafe menu photo
懇親会のお供は、今回も『路空珈琲』のコーヒーでした。
一杯一杯ハンドドリップで丁寧に淹れたコーヒーの味わい、今回も大好評でした。

 

[撮影:加藤雄三、文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]