「あなたのことをわかりたい」。
支援する側・される側、その想いが交わるとき。

[第4回みみここカフェ イベントレポート]

photo at the start of the meeting at Zoom

「みみ」と「こころ」、「聴こえる」と「聴こえない」をつなぐ「みみここカフェ」。

聴こえない・聴こえにくいことから生まれるさまざまな社会的ハンディキャップや心の問題を多くの人と共有し、地域や社会とともに解決していくこと目指す、一般社団法人4Hearts(フォーハーツ)が主催するイベントです。

※過去の「みみここカフェ」レポート
【第1回 2020年10月開催】障害をこえて誰もが心通じあえる社会は、つくれる。
【第2回 2020年12月開催】誰もが特性を持って生きている。“人と人”として向き合うということ。
【第3回 2021年2月開催】ごちゃまぜだからこそ、”自分”がわかる。わかりあえる。

2020年10月に第1回を開催してから回を重ね、今回は4回目。社会情勢を受けて第3回よりオンラインに移行して開催していますが、参加者の顔ぶれによって交わされる対話の内容も雰囲気も毎回異なり、主催の私たちも学びの連続です。

今回もまた、コミュニケーションの本質を深く考えさせられる対話に。オンラインでも確実に参加者全員で共有できた場の空気感そのままに、レポートをお届けします。

 

それぞれに違う「わかりやすい話し方」

2021年4月18日、初夏を感じる陽気の中、オンライン上に6名の参加者のみなさんが集いました。自己紹介タイムには、それぞれのあり方や興味関心をシェア。聴こえる方、聴こえない方、聴こえにくい方。今回のイベントに対する期待もそれぞれで、多様性あふれる場であることを一人ひとりが認識したところで、「みみここカフェ」おなじみの“哲学対話”がスタートしました。

 

Description of philosophical dialogue
哲学対話のルール。「みみここカフェ」では、聴覚障害の当事者である代表の那須かおりと一緒に、
誰もが気軽に発言でき、みんなの意見が尊重されるフリートークの時間をたっぷりと取っています。

 

最初に発言してくださったのは、3歳のお子さんのお母さんで、日本語教師もされているイノウエさん。息子さんの身近に人工内耳をつけているお子さんがいて、対話に戸惑いを感じたことをきっかけに参加してくださいました。

イノウエさん 私は外国の方と話すことが多く、わかりやすい話し方を心がけていますが、耳の聞こえない方にとっての「わかりやすい話し方」や「わかりにくい話し方」がどういうものか知りたいと思いました。

 

Photo of Inoue-san
参加者のイノウエさん

 

ゆっくりゆっくり丁寧に話すイノウエさんの問いかけに応えたのは、聴覚障害者であり4Hearts代表の那須かおり。那須は口話教育で育った経緯から、普段は手話を使わず、口の動きを読み取ることで会話しています。

那須 ワンセンテンスをゆっくり話す、ということを繰り返していただけるとわかりやすいです。逆に口を大きく開け過ぎたり、「今日の 天気は 晴れです」といったように単語で区切られるとわかりません。日常のコミュニケーションはワンセンテンスで話すので、ひとかたまりで音を理解するんですよね。

産業カウンセラーでもある那須は、聴く側の姿勢についても言及しました。

那須 ハーフの方や帰国子女、バイリンガルの方は母語の定着が弱いこともあり、口話教育を受けた人も似た状況になる人もいるので、ゆっくり傾聴して相手の感情を引き出してあげる必要があるかもしれませんね。

 

photo of Nasu-san
那須の画面上には、音声認識によって読み取った言葉を字幕で表示。手話通訳とともに、情報保障を施しました。

那須の言葉の中に、イノウエさんは会話におけるヒントを見つけた様子です。

イノウエさん 外国人と聴覚障害者は、違うところも同じところもあると思いました。それぞれにあった話し方をするとともに、相手の様子を見てきちんと傾聴することが大事だと改めて思いました。

 

親子なら、わかりあえる?

続いて、聴覚障害者で日頃は手話よりも主に口話をメインにして生活しているというシバタさんは、手話通訳の方のサポートを受けながら次のように語りました。

シバタさん 私は生まれつき難聴者ですが、親は聴者です。両親は耳が聴こえないということを理解できなくて、よくイラつかせてしまっていました。私は聞き取りも上手くできなかったので、わかったふりをすることも多かったです。

photo at the start of the meeting at Zoom
参加者のシバタさん(画面下中央)は、手話を使って参加。手話通訳(画面上中央左)を通して、シバタさんの言葉も全員にシェアされました。

うなずきながら聞いていた那須は、シバタさんに共感し、こう続けました。

那須 私も家族とは同じような状況で、何十年一緒にいても、「かおりがどこまで聞こえているのかわからない」と言われたこともありました。聞き取れないとき、家の中では聞き返せますが、外では「まわりに迷惑をかけている」と思ってしまい、あとで友達にこっそり聞いたりしたこともありましたね。

聴覚障害者のふたりの対話を聞いて手を挙げたのは、音楽好きで耳の聞こえない方の立場に興味を持ったというレイさん。”ジェンダーフルイド(男女の枠に当てはまらない性自認のある人)”であるという立場からも「みみここカフェ」に興味を抱き、3回目のご参加です。

レイさん お話ありがとうございます。ぼくは双子で、幼い頃から片割れとは言葉じゃないところで通じ合えている感覚があったので、寂しさを感じたことがありませんでした。「ひとりじゃない」と思えていたから、自分を否定せずに生きて来られたんです。

親はよく分かっていなかったけれど、違う時代を生きてきたし、「わかりあえるはずない」と思っているんですね。「親子だからわかりあえるはず」という前提がなくなれば、葛藤もなくなるかもしれないと思います。

レイさんが語る途中、「親が一番の理解者とは限らないですね」とチャット欄に書き込んでくださったのは、コワーキングスペース「チガラボ」主催のイベントで那須の話を聞き、共感して参加したというアダチさん。那須も、かつての結婚経験でわかり合えなかった相手との関係性を振り返り、「ずっと一緒にいるからわかるよね、という甘えもあったのかもしれない」と語りました。

さらにチャット欄には、ご家族の事情で顔と声を出さずに参加されているヤマグチさんより、コメントが届きました。ヤマグチさんは、湘南100CLUBの活動で那須を取材した(記事はこちら)ことから活動に共感し、今回参加してくださいました

ヤマグチさん 私たち夫婦は健聴者同士ですが、夫の声がうまく聞き取れず、イラつくことが度々あります。「もっと大きな声で話して」と何度お願いしても変わりません。

「親だから」「家族だから」という前提を乗り越えていくことは、言葉で言うのは簡単ですが、実はとても難しいのかもしれない。そんな複雑な想いが、オンラインの場に漂いはじめました

 

photo of the meeting at Zoom with chat
チャット欄をおおいに活用し、諸事情により顔を出して発言することが難しい方も交えて対話が繰り広げられました。

「同じ土俵に立つ」ということ

では、血縁のない「仲間」ではどうなのでしょうか。那須とともに4Heartsの中心で活動している加藤は、率直な想いを語りました。

加藤 一緒に活動していながらも、那須とは口論になることがあります。僕なりに理解をしているつもりでも聴者の立ち位置から見てしまうことがあるので、当事者の本当の感覚とはズレがあって、まだまだ理解できていないんでしょうね。同じ土俵に立てているつもりでも、言葉の暴力というのはあると感じています。

4Heartsの津金も続けます。

津金 聴覚については特に個々に違いますし、環境にも左右されます。当事者でも説明するのが難しいので、周りの人はもっと理解できない。私は聴こえない方々とずっと一緒に活動してきて、どんなに理解し合っているつもりでいても、お互いの間に取り払えないカーテンみたいなものを感じます。

イノウエさんも、耳の聴こえないお子さんとの対話での苦悩について、言葉を詰まらせながら語ってくださいました。

イノウエさん どんなに知ろうとしても想像力に限界があって、「こうしたらわかりやすいかな?」「こんなことしてあげられるかな?」と試行錯誤しています。でもそれも、「ありがた迷惑になっていないかな」と思ったり。聴こえる人が「なにかしてあげよう」というのが間違いなのでしょうか。難しいですね……。

仲間や親子、夫婦でも、共通の想いや目的を抱いていながらも、そのプロセスにおけるコミュニケーションに困難が生じてしまう。ありのままの心をさらけ出す対話の中から、「わかりあえない」という現実のやるせなさや苦悩があぶり出される中で、レイさんは加藤の発言に気づきを得た様子です。

レイさん 加藤さんの視点はすごく大事ですね。ぼくは障害者ではないし一緒にするのは失礼かもしれませんが、「こうあるはずだよね?」と決めつけられてきたことに対する怒りみたいなものを持って生きてきました。でも、相手のものの見方に対して嫌悪感を抱くことなく、「理解しようとする」ことが、わかりあえる第一歩かな、と思いました。

 

photo of Rei-san
参加者のレイさん

 

“ありがた迷惑”の先に

先程イノウエさんが語った「ありがた迷惑」という言葉。当事者の方々は実際に感じたことがあるのでしょうか?進行を務める4Heartsサポーター・市川の導きにより、この視点でもう少し対話を続けてみることにしました。

那須 会社に務めていたとき、私をサポートしてくださっていた方が、それをまわりにアピールするようになったことがありました。私はサポートをありがたく思っていましたが、コミュニケーションの方法についてこちらから変更のお願いをしたところ、「方法を決めるのは指示する側だ」と怒られてしまったんですよね。

このやるせない体験談に対して、アダチさんは「支配欲でしょうか?」とコメント。レイさんは「人の持つ弱さだと思います」と続けました。続いて難病を患い副作用から低音域の難聴者となったナカオカさんも、体験を共有してくださいました。

ナカオカさん 私も那須さんと同じように、ずっとサポートしてくださった先輩が、自分のことをまわりにアピールしていたことを知ってショックを受けたことがありました。

もちろんすべてをわかりあうことはできないけど、対話を重ねたり想像することから始まるんだと思います。私はヘルプマークをつけていますが、「この人なにかあるんだ」って想像してくれて席を譲ってくれる人もいて、本当にありがたくて。

「迷惑かな」って思ったり、断られて傷つくこともあると思いますが、ちょっとしたぶつかり合いやズレは生きていく中でどうしようもなくあるのだと思います。

 

Photo of Nakaoka-san
参加者のナカオカさん

 

当事者としての「わかりあえない」経験をシェアしてくださったナカオカさんは、できるだけ自己開示することで、一歩を踏み出そうとしているそう。ナカオカさんの話に耳を傾けていたアダチさんは、20代のときに双極性障害二型という精神疾患を患ったことを開示し、そのときの想いを共有してくださいました。

アダチさん 日本人は多数決の社会で「普通」と「普通じゃない」に分けるところがあって、それが生きづらさになるのかな、と思います。私自身も精神疾患になったときに「普通じゃなくなった」と思って苦しかったんですが、もとに戻らなくても、そこにも道があるわけで、自分の生き方を探せばいいわけですよね。

 

photo of Adachi-san
参加者のアダチさん

 

戸惑いや壁をこえ、フラットな関係性を

では、「自分の生き方」をまっとうする当事者にとって、本当に必要なのはどのような支えなのでしょうか。チャット欄に「選択肢があること」「複数の支えがあること」「支えてもらう側が自分で選ぶこと」といったコメントが飛び交うなか、サポートされてうれしかった経験について、那須が語りはじめました。

那須 これまで氷のような心で、反骨精神と怒りを原動力に生きてきましたが、この活動を仲間とはじめて、サポーターの市川さんに「お友だち」と言われて最初はものすごく戸惑いました。「お友だち」ってどういうことかわからなかったんです。そこから慣れていって、今はたくさんの人に支えてもらっていますが、準備期間が必要でしたね。

アダチさんは「『氷のような心』という言葉が心に刺さりました」と前置きしつつ、ご自身の想いも語ってくださいました。

アダチさん 精神疾患について、「バレたら結婚できなくなる」と思って、奥さんにも言えずにいたんです。でも6年前に再発してバレてしまって……。実はそこからのほうが、結婚生活は上手くいっています。あけっぴろげで隠すものがなにもないと、言葉でもうまく伝えられるんです。

 レイさんは、那須とアダチさんの発言に感極まった様子で言葉を震わせながら、こう話してくださいました。

レイさん ぼくはジェンダーフルイドだということがわかったのはつい最近で、自分でも説明する言葉を持っていなくて、無意識にがんばっていたことに気づきました。人をカテゴライズして見ないということの大切さを実感しています。那須さんの活動で優しい心が広がったらうれしいな、と思いました。

イノウエさん、ヤマグチさんも続けてくださいました。

イノウエさん 最初に日本語教師になったときは、「支えたい」というおこがましい気持ちがありました。でも大事なのは、「支える」じゃなくて、「一緒にやる」っていう感覚。そういったコミュニケーションの先があるといいな、って思いました。

ヤマグチさん(チャット) フラットな関係性がベースだと思います。親子もそうですね。

 

photo of the meeting at Zoom

 

重ねる対話の先に、未来を見据えて

聴こえる・聴こえないをこえたみなさんの対話によって、「わかりあえない」というどうしようもない現実をこえていくためのヒントが透けて見えてきました。

心震わせながら、貴重な想いと経験をシェアしてくださったみなさんに対して那須がお礼を伝えると、参加者のみなさんからは、「参加できてよかったです」「とても豊かな時間でした」といったあたたかな声が返ってきました。

人と人のコミュニケーションの間に立ちはだかる「わからなさ」は、どんな技術や想いがあっても、乗り越えられないものなのかもしれない。でも、「あなたのことをわかりたい」という想いは確実に相手に伝わるし、すべてはそこからはじまる。だから私たちは、対話をあきらめません。

きっとその先に、それぞれの表現を、存在そのものを、祝福しあえる文化が育まれていくから。あらゆるコミュニケーション手段を歓迎する、包容力あふれる社会が広がっているはずだから。

「みみここカフェ」、次回は6月の開催を予定しています。ここは、参加者一人ひとり、みんなの想いと発言が尊重される安心の場です。心惹かれた方、ぜひ参加してみてくださいね。4Hearts一同、お会いできる日を心から楽しみにしています

 

[文:池田美砂子(4Heartsサポーター)]

※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。