まだ生きていたら、高齢の母が「私はもう聞こえなくてもいいよ」って言ったのかもしれない
[第15回みみここカフェ イベントレポート]
2022年2月5日 いよいよ偶数月での開催は今回で最後となる「みみここカフェ」のオンライン会場に、6人の参加者が集まりました。
ご両親が難聴だというCODA(コーダ)の方、既に亡くなった母親が耳が遠かった(加齢性難聴)という方、難病の影響で見えづらさと聞こえづらさの両方を抱えている人(ある程度は日常生活は送れる)など、今回も多様な方々が参加されました。
「補聴器をつけるのを、もうやめました」という、由美さんの発言で始まった哲学対話。
実は由美さんは、「みみここカフェ」の初回から参加されています。当時はリアル開催でした。
手話がわからないので、音声認識を表示させたノートパソコンを由美さんの前に置き、ワイヤレスマイクをつけたクマのぬいぐるみを回して発言してもらっていました。(手話話者の発言の時は、読み取り通訳の音声を拾って。)
そうすると、全員の話していることが文字になって現れ、みんなの意見がちゃんと分かります。
「10年ぶりにみんなの意見が分かった上で、私も意見ができた!」と喜んでいた由美さん。
2年以上経った今、由美さんは自分自身の障害を受け入れる過程で、自分の人生をどのように生きていくかを確信していったように思えます。
「補聴器をつけるのを、もうやめました」
これは、由美さんなりの、とってもポジティブな宣言だったのです。
そんなお話を聞いていると、既に亡くなった加齢性難聴の母親のことを思い出したヒロさん。
「本当は補聴器をつけた方が良かったと思うんですけど、母親がそれをすごく嫌がるんです。僕の想像ですが、補聴器をつけたくないというのと、やっぱり歳をとると手先は思うように動かないので、補聴器ってちっちゃいじゃないですか。だから、それの操作が母はできなかったんですよね。それでせっかく買ったんですけど放ったらかしてしまって。」
「でもまだずっと生きていたら、由美さんのように「私はもう聞こえなくていいよ」って言ったかもしれないし。加齢性難聴がどんどん進んでいって。大きな声で喋ることが母親をもしかしたら傷つけていたのかな。何だか思い出しちゃいました。」
反面、補聴器をしている聴こえない両親がいるというCODAの方。
「子どもの頃は、親を振り向かせたくてティッシュ箱を投げたり、床を叩いたりして。親が「床が揺れている、何だろう?」と振り返ったときに「お母さん補聴器してないでしょう」ってまず、その補聴器をしていない母を責めてしまった。今思えば、なんであんなこと言っちゃったんだろうなって思う。」
「今、2人の子どもがいるんですが、じいじばあば聞こえないからこうしてあげてねって言ったことは一切ないんですけど、自然と子供って、なんていうか、「聞こえないから」っていうこだわりではなくて、本当にじいじばあばに伝わる伝え方をしてるなっていうふうに思うので、そうそう、そういうことだよねって思う。」
こういったお話を聞くと改めて、子どもの頃からのインクルーシブ教育や、ワークショップの大切さを感じます。
私たち4Heartsは2022年9月に、聴覚だけにこだわらず、「見えない・聞こえない・話せない」体験をしながら、3人1チームになって共通理解の元に本を探すイベントを開催しました。それぞれが出来る役割があることで、小学校2年生の参加者でもすぐに次の役割に交代したときに、されて嬉しかったことを次の子に転換できていたのです。
元々、小学校からの教育が大切だと思い開催したのですが、私たちの想像以上に子どもたちは「伝え」「繋がっていく」んだなと思いました。
いろんな人が思い思いに、自分の体験をポツリポツリと、ときには涙しながら。
最後には温かい空間で終わる、この「みみここカフェダイアローグ」。
この回をもって、偶数月の開催を、年1回にしていこうと思っています。
「対話」から生まれることがあると思い、哲学対話をベースに始めた「みみここカフェダイアローグ」。
引き続き「対話」は、「越境コミュニケーションワークショップ」(見えない・聞こえない・話せない)に取り入れて進化させていきます。
開催の暁には、また告知いたしますね!
今回も株式会社リコー様の音声認識Pekoeをご提供いただきました。ありがとうございます!
4Heartsにご提供頂いている株式会社リコーの音声認識pekoeの紹介はこちら
[文:4Hearts]
※プライバシー保護のため、対話の内容や個人名は一部編集しています。「みみここカフェ」では、参加者のプライバシー保護、情報開示の意志を尊重して活動報告を行っていますので、安心してご参加ください。