「フットサルを通して障害を越えていく」ということを伝えたい

デフフットサル女子日本代表選考合宿 in 静岡 山本典城監督インタビュー
Photograph of director Yamamoto

2020年10月3日(土)静岡県ナショナルトレーニングセンターJ-STEPにて、デフフットサル女子日本代表選考合宿が実施されました。昨年開催されたデフフットサルワールドカップスイス大会から引き続き監督に就任された山本典城監督に、デフフットサルに取り組む想いをお聴きしました。

―― 今日はよろしくお願いいたします。
昨年11月のスイスW杯が終わって、今年3月以降コロナが広がる中、6月に監督に任命され、この10月には初めての代表合宿と、この1年を振り返ってどのような気持ちでいらっしゃいましたか。

山本 もともとスイスW杯が終わって、監督を続けるのか続けないのかというところからのスタートだったんですが、そこでコロナが出てきたことで、どのスポーツでもそうだったと思うんですが、協会(編集注:一般社団法人日本ろう者サッカー協会、以下協会)の動きも少し止まった部分がありました。

本当は、続けると決めたところですぐに活動を再開するべきだし、そうしないと次のW杯で結果を出すのは難しいと思っていましたので、活動に制限が出てしまったことで、少しがっかりしたというか、すごくもどかしい気持ちが僕自身もありました。 

―― 選手の皆さんも、ジムが使えないなど思うような活動ができないことで、モチベーションが下がったというお話がありました。監督として、選手の皆さんのそうしたモチベーションについてどのように受け止められていますか。 

山本 まず選手たちが一番気にしていたのは、監督が誰になるのか、ということが大きいと感じていました。そこは早く、自分がやるやらないは別にして、選手たちが次に進んでいくための道をはっきり示してあげないといけなかった。

選手たちが言うようにどこでモチベーションを維持するのかが難しくて、せっかくスイスの経験で悔しい思いをして、これからまた頑張りたいと思ってくれた選手が多かった中で、そこでなかなか動けなかったのが、選手たちには申し訳なかったなという思いはありました。そこは協会全体として、これからのことも含めて課題だったのかなと思っています。 

―― スイスの時と比べて、選手の数が増えたとお聞きしています。

山本 そうですね。スイスのメンバーが多く残ってくれた中で、サッカーだけをやっていた選手が2名、全く新しい選手が2名、計4名の新しい選手が増えました。そこはこれまでやってきた積み重ねの結果の一つかなと思っています。

―― その中で世代交代ということも考えられてるんでしょうか。 

山本 もちろんそれは理想ではありますが、デフサッカー、デフフットサルの環境を考えたときに、特に女子選手の場合は、競技人口が少ない中で、どうやってチーム作りをしていくのかということをしっかりと考えて進まないといけないということは、昔から思っていました。

選手にとっては、金銭面の負担だったり、いろいろな要因で、そもそも続けることがなかなか難しい中で、どう続けさせてあげられるか、環境面だったり、気持ちの部分だったり、そこに道しるべを作っていってあげることが一番大事だと思ってやってきました。
その結果がようやく、選手たちの取り組み方だったり、マインドだったり、フットサルという競技を何のためにやっているのかということがはっきりしてきた選手たちが多くなってきたのかなと感じています。

―― 今年、ケイアイ様(編集注:ケイアイスター不動産株式会社様 https://ki-group.co.jp/ )に入社されたと伺いました。監督に専念できる環境になったと思うのですが、いかがでしょうか。

山本 監督として専念、ということではなくて、会社の広報の仕事をしつつ、ということになります。会社として障害者アスリートや障害者スポーツを支援していくことに、すごく意義を見出している会社だと感じました。

常々僕が考えていたことは、選手たちの環境をどうやったら変えていけるのか、ということでした。
例えば、国の助成金をもらうことが一つの方法だったり、協会にスポンサーを付けることもそうですが、いろいろ方法はあるとは思います。ただどれも今の日本では、障害者スポーツに対するイメージやサポート体制が世界と比べるとまだまだ遅れている中で、待っているだけでは多分何も変わらないし、いろいろな行動を起こす必要があります。

もちろん少しずつは変わってきてはいるんですが、ちょっとずつしか積み重なっていかないということもすごく感じていて、特に女子選手たちは、結婚したり、子どもができたりして辞めていく選手が多く、明確な目標に向かってプレーできる期間が限られると思うので、それなりのスピード感をもって選手たちの環境を変えないとダメだなと思っています。

ではどうしたらいいのか、って考えたときに、協会だけに頼るよりは、選手たち自身が自分たちの環境を変えた方が早いと考えました。協会にサポートしてもらうというのももちろん一つではあるんですが、選手たち自身が、自分がフットサルに取り組む環境を良くするために行動していく必要がある。 

それが何かって考えたときに、障害者アスリート雇用を活用することも一つの方法だし、踏み込んでいえば、日本の法律で、法定雇用率という、企業は障害者を雇用しなきゃいけないというルールを上手く使えるようになれば、自分たちの環境を良くしていくのは可能なんじゃないかと思っています。

スポーツだけをやっている、というよりは、スポーツを通して企業に価値をつける、会社の一員としていろんな役割を全うできる選手だったり人間になっていくことが、障害者アスリートの環境も変えていくんじゃないかと考えています。

自分自身もそういう環境に身を置くことで、自分が考えていることを、より行動に移しやすい、という思いから入社を決断しました。

Photograph of an interview with Director Yamamoto

―― ケイアイ様に入社されて、山本監督ご自身が道しるべになっていって、いろんなデフの選手たちにも新しい在り方を見せていけたら、ということですね。
同時に、選手の皆さんご自身も、どのようなモチベーションで大会に向かっていくのかということを一つ一つ言語化しながら、ここまで来られたということだと思います。
自分の中でいろいろと言語化していきながら、伝えられることが明確になり、ロールモデルがはっきりしていく中で、監督として、選手の皆さんに伝えていく言葉は、どのようなことを意識されていますか。

山本 差別とか偏見とかそういうことではないんですが、障害者という枠の中だけで考えてしまうとその枠でしか進んでいきません。共生社会を作っていく一つの方法として、スポーツを使う。選手たちは、生活の中で感じている健常者との壁があったとしたら、それを自分がやっているスポーツを通して越えていくということはできるんじゃないかなとは僕自身思っています。

監督になってからずっと選手たちに言い続けているのは、障害あるなしは関係ない、この場所に選手として来ている以上は、障害に関係なく、アスリートとしてのマインドを持たないといけない、ということです。
それを持っていれば、例えば健常者の世界の中に入っても、同じようなマインドで、きっと障害を越えて健常者の中でも普通にやっていける、健常者もデフの選手たちを認める、必要とするようになっていくと考えるからです。

岩渕(編集注:岩渕亜依選手、スイス大会代表キャプテン)なんかは健常者のチームでもキャプテンをやっていますが、それってなかなか簡単なことではないと思うんですよ。でもそこをやれてるってことは、岩渕自身が障害とかは関係なく、自分がいる場所の中で自分の価値を高めていって、それに対してチームメートだったり、チームの方も、その存在を認めているからこそ、必要として、しっかりとした役割を与えているんだと思います。 

デフの選手は、健常者の中でコミュニケーションをとることが一番難しい訳じゃないですか。一方でチームをまとめる役割って、周りの人とコミュニケーションをとることが一番大事なんですけど、その役割を与えられるっていうのは、やっぱりお互いを認め合ってるってことなんだと思います。 

そうするとそこには障害のあるなしは関係なく、一フットサル選手のチームメートとして認め合っているということだと思うので、そういった形がフットサルだけじゃなく、いろいろなスポーツだったり、企業、社会の中で生まれていけば、おのずと、「この人は障害があるから・・・」とか、そうした感覚がなくなっていくんじゃないかなと思っています。

―― 私たちも全く同じように考えています。
私自身、一般社団法人4Heartsの代表をさせていただいてるんですが、周りにいる人も、協力くださっているNPOや株式会社の方たちも聴こえる人がほとんどなので、どういう風にコミュニケーションをとっていくか、連携をとっていくか、ということを考えている中で、スポーツも同じことが言えるんだと感じました。 

山本 そういう意味ではスポーツの可能性はすごく大きいと思います。だからこそせっかくそうした可能性を持ったスポーツを長くやっている選手たちには、競技生活が終わったときに、ただやっていた、だけではなくで、やっていたことの意味を感じてほしいんです。

僕自身もサッカー、フットサルで多くのことを経験させてもらえたし、多くの人に出会うこともできました。人生のやりがいと思えることがフットサルでしたので、悔しかったり辛かったりしたこともたくさんありましたけど、やってよかったし、やってきたことが今の自分の人生、自分の価値につながっていると思っています。

ですからここにいる選手たちにも競技生活が終わったときに、やってよかったと思ってほしい。ただ結果というのは、相手がいることなので非常に難しくて、これだけ頑張れば一番になれるという保証はない中で、大事なのはそこに進むまでの過程であって、そこをしっかりとしたマインドでやっていくことが一番大事だし、そこに生まれてくるストーリーが周りのいろいろな人たちに伝えられることなのかなと思っています。

そうしたことを含めて言語化というと、「フットサルを通して障害を越えていく」ということになるのかな、そんなことを意識して伝えているつもりです。

―― これから次の大会での金メダルを目指して頑張っていかれると思うんですが、コロナの影響も続いている中で、デフアスリートの未来についてはどのように考えていられますか。 

山本 コロナの影響に関しては、どうすることもできない部分ではあると思うんですが、何ができるかを最大限、選手、スタッフ含めみんなで一緒に考えていくしかないと考えています。
デフアスリート全体で考えると、まだまだ日本の中ではデフスポーツ、デフリンピックの認知度は低いし、パラリンピックにデフアスリートは参加できないなんてことも知っている人はわずかです。そうすると、やってきたことがすごく意味があると感じにくいですよね。誰にも観てもらえない、応援してもらえない、と感じてしまうと、ただ個人的に好きでやっているだけ、ということで終わってしまいます。

デフの難しいところは、健常者と同じ競技レベルを求められるし、身体的には健常者と変わらないんです。でもチームプレーとなると、聴こえない、話せないということがすごく影響はあるんですけど、見た目には変わらないので、自分たちは聴覚障害を持っていますということを伝えていくのが非常に難しいんですよね。そこをどうやって伝えていくのかということは、これからのデフスポーツ全体の取組であり課題だと思います。

また個人的な感覚ですが、聴覚障害を持っている方は、コミュニケーションを取りづらい障害ということもあって、周りの人とコミュニケーションをとることから遠ざかっている人もきっといるんじゃないかと思っていて、そういった部分で、障害のある方も超えていかなきゃいけないし、受け入れる側もそれをしっかりと認めて、受け入れるような世の中にならないと環境は変わっていかないし、認知も広がっていかないですよね。
認知を広げる、知ってもらうということで言えば、結果は一番大事ですし、それを求められるのが日の丸を背負うということだと思っています。そういう部分では常に結果を求めていかなければいけないです。

2025年には日本でデフリンピックが開催されるかも、という話もありますので、そういったときにデフアスリートの人たちがしっかりと自分たちのストーリーを周りの人たちに伝えられるようにアプローチしていくのが、僕たちの役割かなと思っています。

―― そうですね。これからもストーリーを見させていただきたいなと思います!応援しています。本日はありがとうございました。

 

Photograph at Yamamoto's meeting

 

インタビューを終えて

合宿スケジュールの合間のお忙しい中、貴重なお話を伺うことができました。
山本監督の、フットサルにとどまらず、デフスポーツ、デフアスリートに向き合う真摯な姿勢が、選手やスタッフの皆さんとの信頼関係に繋がっていることを実感することができました。
ありがとうございました。

取材:那須かおり 
動画撮影:金田康汰
写真撮影:津金愛佳
文 :加藤雄三