スポーツに障がいは関係ない~ハンデを抱えた先は~

Photo of playing soccer

 私は、先天性の感音性難聴を持っています。補聴器がなかったら人の声や日常生活から聞こえるような音は、まったく聴こえません。補聴器をつけたら、車の音や緊急車両のサイレンの音、人々が会話する声などいろんな音が聴こえるようになります。

しかし、人々が会話する声には、モザイクがかかったかのような聴こえ方なので、基本的に読話なしでは言葉を聴くことが難しいです。


 私は、0歳から高校までろう学校に通っていました。そのため、物心ついたころには手話が第一言語でした。また、幼稚部の時から発音の練習をしていたため、今では口話で話すことができます。家族は私以外みんなは聴者のため、話すときは口話が中心となります。しかし、私と話すときは口話もかねて手話でコミュニケーションを取っています。たまに私以外、家族同士が歯磨きしてるときや声を出せない状態では手話や指文字で伝えるシーンをよく見かけます。

 聴者との交流は、小学3年生の時、幼なじみ(聴覚障害者)の兄が入っている少年サッカーチームに誘われたのがきっかけでした。私は、小さいころから身体を動かすことが大好きで父とボールを蹴ったり、キャッチボールをしたり、追いかけっこしたりして遊んでいました。そのため悩むことはなく、すぐに体験行きたいと答えていました。

 その少年サッカーチームは、聴覚障害者に対しての理解があるチームだったため、快く歓迎してくれました。また、体験に行ったときにみんなとスポーツをするのがすごく楽しかったのと、幼なじみもいたことが心強かったので、入団を決意しました。

 コミュニケーションに関しては、練習後のミーティングでは、コーチからの話をほぼ毎日、母が手話通訳してくれました。練習中などでは手話通訳をするのが難しいので、コーチによる身振りや動きを読み取り、理解することが多かったです。そして、チームメイトや同期、コーチは私たちと話す時はゆっくり話してくれたり、分からないことは教えてくれたり仲良くしてくれたので、そのチームで楽しくボールを蹴ることができました。

 入団してからはサッカーが楽しくて、「もっと上手くなりたいな」「(日本代表の選手)こういう選手になりたいな」と思うようになりました。それから練習がない日は、母の勧めでリフティング100回以上を目標とし、スケジュールを作ってその日の最高記録を書いたり、幼なじみや友達と近くの公園でボールを蹴ったり、1対1の練習などよくボールを触っていました。

 しかし私が6年生のとき、後輩にふざけられて嫌な思いをしたので、サッカー練習に行きたくないと思うこともありました。父から「行きたくないならサッカーやめろ」と言われたときは、「サッカーはやめたくない」と内心思っていました。この時点でサッカーが楽しくて大好きだったのでやめたくない気持ちが強く出ていました。

 多分その後日、その子に「嫌な思いをするからやめてほしい」と伝えてから、ふざけられることもなくなり、仲良くなりました。他に仲が良いチームメイトもいたので、卒団するまではそのチームで続けてこられました。

 中学生では入学したろう学校の部活が、野球部とバレー部しかありませんでした。
サッカー部がなかったので、母に「健聴のクラブチームはあるよ」と言われたのですが、人間関係に少し不安があったので、サッカーをやるのをやめようかと悩んでいた時期がありました。

 ろう学校の先輩に「部活入ってほしい、一緒にやろう。」と、声をかけてくださったことがきっかけでサッカーから離れ、部活に専念していました。初めてやる部活が、チームスポーツだったので楽しいと思っていました。

しかし、秋の部活大会が終わったあと、「やっぱりサッカーもしたい」という気持ちが強くなりました。そこで、顧問の先生と相談をし、サッカー優先でオフの日は部活のほうに行くということで掛け持ちをしながら、小学生の頃に通っていたサッカーチームの先輩数名が入っているチームに入団することになりました。


 入団したチームは、練習時間が一段と遅くなったため、手話通訳(母)がいない状態が当たり前になりました。
 チームに入団したばかりの頃は練習中、小学生のときに所属していたサッカーチームと同じような形で、コーチの動きを見たり、チームメイトに聞いたりして練習に取り組んでいました。

そして、練習後のミーティングでは全部聴き取ることが不可能なので、仕方ないと諦めて少ししかわからないまま終わりにしていました。

 チームに慣れてきたころ、コーチの話を少し気にするようになり、ミーティングの内容を簡潔にチームメイトから教えてもらうようになりました。

 中学2年生に上がり、公式戦などに出場できるようになったことから、試合中に良くないプレーがあるといつも先輩に怒られていました。怒られていくたびに、練習でも怒られるんじゃないかという怖さを感じてしまい、練習に行っても精神的な腹痛で、見学する日が増えました。

このままじゃダメだと思い、その先輩に何がよくなかったのかを聞きました。すると、先輩はなぜこうなったのかを分かりやすいように教えてくれました。教えてくれた時は、確かにこれはよくないなと思うことが多くあったので、そこからは修正して練習に挑みました。

また、チームにキーパーがいなかったので、公式戦当日に私にお願いされるようになりました。その時はキーパーをやるのも好きだったので、すぐ引き受けました。中学2年生では、ほぼキーパーとして公式戦に出場しました。

 中学3年生に上がり、キーパーではなくフィールドプレイヤーとして公式戦に出場するようになりました。そのチームは高校1年生まで続けていましたが、中学生メインのチームだったので、高校生のクラブチームに移籍しました。

 移籍先は、サッカー界で強豪と呼ばれている名門大学のサッカー部で新しく下部組織ができるところだったので、入部しました。人数は5~6人からスタートでした。なぜ、このチームを選んだかというと、高校生中心(ユース)のチームであり、新たな環境をともにスタートしていきたいという思いがあったからです。

当初は人数が少なかったこともあり、大学生と合同練習からスタートしました。大学生のレベルが高く、大学生の公式戦は応援団として出席することが義務なので、レベルの高い試合を観戦することで、たくさんのことを学ぶことができました。

 ユース結成からは高校生の人数が少ないので、大学生と合同チームとして練習したり、公式戦に出場したりしました。大学生の中でも、レベルが高い選手がいたのでどう動いたら点を取れるかなどを色々聞くことができました。

また、練習後の自主練が少し設けられていたので、先輩と練習したり同期と練習したりして取り組んでました。

 入団当初では同期とも仲良くしていたので、オフの時は、練習後に4人ぐらいチームメイトとよく帰っていましたが、みんなの話を聴き取れないため、みんなの輪にちょくちょく入れなくて少し孤独感はありました。

しかし、盛り上がる度に、毎回話を遮って聴くのは申し訳ないと思い、気になった時だけ隣の人に何で盛り上がってたの?と聞くだけで、あとは気に留めず一人で黙ってました。

 高校3年生の途中に健聴者との壁をさらに感じるようになり、一緒にいるのが少し苦しくなってしまいました。それまでは、健聴者との壁を少しは感じていましたが仕方ないと思っていました。

でも、それではいけないと思い、ユースの監督やチームメイトに話を聞いてもらい、お互いに少しずつ壁を取り除いたおかげで、高校を卒業するまでサッカーを楽しく続けてこられました。

Photo of a confused girl

 

 高校卒業後の進路はろう学校の専攻科に進学予定だったのですが、下部組織に入団していたこともあり、サッカー部の監督に大学も一緒にサッカーをやろうと声をかけてくださいました。誘われたときは、健聴者との人間関係のことですごく悩んでいました。その大学は、高校1年生の時に良いなと思っていた大学だったので、勉強の方も考えた結果、大学に進学する選択を決めました。


 大学に入学し、サッカー部を続けました。そこには、サッカー部員がおよそ80人いた中で、耳に障がいを持っているのは自分だけだったので、めちゃくちゃアウェー感がありました。

お世話になる部員たちには、自分が耳が聴こえないことを快く受け入れてくれたので、練習中にゆっくり話したり、身振りを大きくしたりしてくださったので、楽しくボールを蹴ることができました。

しかし、練習後のミーティングではコーチの話をなるべく全部知りたいとは思っていましたが、同期に丸ごと教えてもらうのは申し訳ないと思い、高校までと同じやり方で、同期に要約して文字化にして教えてもらっていました。


 オンの時の健聴者との関わり方は問題なかったのですが、オフの時は一人または少人数での行動をしていました。大学入りたての時は集合場所が運営及び試合会場などは、同期と集団(10人ほど)で移動していましたが、電車に乗ると周りの人の目が気になり始めました。

高校とは違い、10人ぐらいの同期と一緒にいるので、さらにみんなの輪に入れず孤独感を増していました。それは、周りからは一人だけ外れてる?かわいそうな感じにみられているのではないかと感じたからです。

それからは集団で帰ること自体が苦になっていたので、一人で行くか仲の良い同期と移動するようになってからは、気にしなくなりました。健聴者とろう者との付き合い方が違うだけ。だと思い込んだら、気が楽になりました。

Photo of soccer ball

 

 現在は社会人チームに所属をし、スタッフが多い中で練習中の監督やコーチの話をスタッフが簡単な手話または筆談で教えてもらえるようになりました。

他に、練習後のミーティングでは、携帯のメモ機能を活かして、全部文字化にしたり動画を取って字幕を付けたりしてくださっているので、凄く恵まれています。

情報保障の差が、必要なことやプレーをすることで何が大切なのか、みんなとともに成長していくにはどうするべきかを知ることで、成長の大きさに影響するのではないかと感じました。

今のチームは、人数が少ないこととチームがアットホームなので、コミュニケーションがとりやすい環境になっています。また、大学までは人間関係がうまくいかなくても必死にサッカーを取り組んでいましたが、今は楽しくボールを蹴るとモチベーションが上がるので、チームメイトと楽しみながら取り組んでいます。

健聴者と関わると必ずしも壁にぶつかるが、自分がどうしてほしいのかを伝えることで、解決出来る方法が少なからずあることを知りました。また、チームスポーツなので協調性とチームワーク、それぞれの個性などを知ることで、自然にどんな相手でも受け入れられるようになりました。

どんな人でもコミュニケーションに壁はあると思いますが、相手がどうして欲しいのかを聞かない限り解決は難しくなると思っています。なので、上手くいかない時に、自分はどうしたかったのかお互いに伝え合うことで、上手くいく時もあります。

もし、伝えても上手くいかなかったら、その人、その環境は自分に合わなかっただけ。と考えたら気が楽になるのではないかと思います!十人十色ですから!笑
みなさんも、自分に合った環境、生き方を見つけられたらいいですね!

  

Writer's photo

著者:あかたか

高校までろう学校、のち大学に進学
現在は社会人チームにて活動中