ろう者が英語を学ぶとき(2)
~聴こえない私の聾英語教育への挑戦~
就学と親の選択
幼稚園に通いながら、週に一度、二度とお休みして聴能訓練に通った日々も終わり、卒園した私は、就学する年になりました。教育委員会の担当者と面接したらしく、そのときのことは覚えていないのですが、その面接に失敗したら小学校に行けないということを言われたのは覚えています。
「その試験は1回きり。まっすぐ座って、声を出して名前を言いなさい。何を言われたかわからないときは、お母さんの顔を見なさい、お母さんが言い直す。お母さんが言い直さなかったら、はっきりと『わかりません』と答えなさい」と言われ、練習をしたことは覚えています。
当時の私は、低音が聴こえないという、聴覚障害のなかでは珍しいタイプでした。一般的には、聴覚障害の子たちは保有聴力がある場合、低音が高音よりはよく聴こえる傾向があります。教育委員会の方々は男性が多く、彼らの低めの声は私の耳には届きづらいため、母が高音域を意識して言い直してくれていたようです。その結果、面接は通過することができました。こうして小学校に入りましたが、入ったあとにさまざまな困難が待ち構えていました。
字幕のないテレビと努力
小学生は、テレビが大好きです。学校の休み時間は、歌番組やドラマの話で盛り上がります。しかし、当時のテレビ番組には、字幕がほとんどついていませんでした。歌番組の場合は、初めて歌う歌手のときだけは歌詞の字幕が出たので、それをチェックして覚えるようにしました。
また、ドラマでは、母に頼んで台詞を言い直ししてもらうのですが、ドラマが佳境に入ると母も内容にのめり込んでいるので、「今いいところだから」などと大笑いしていて、私に内容を伝えるのは後回しになるということもしばしばでした。CMの時間にさっと概要を書いてくれたりしましたが、それで私がドラマを楽しめたというには遠い状況でした。
でも、こうした努力をして情報収集しておかないと、「昨日のドラマ見た?」「見た見た」「○○が…」「そうそう」というような女子たちの間でのトークについていけなくなります。ついていけないことは、休み時間の孤立を意味していました。女子グループでの会話は、内容が一字一句わかるわけではないのですが、「…見た?」で「見た」と短く答えて話のとっかかりに乗れば、後はてきとうに頷いていればグループの中にいることができるので、話が分かるかどうかはそんなに重要ではありませんでした。仲間外れにされ、一人になることのほうがずっと怖かったのです。
いじめの境界とは
芸能界の話題やテレビから得る知識について、母に助けてもらいながら、女子トークを乗り切れたのは、小学校中学年まででした。高学年になると、女子トークの幅はどんどん広がっていき、ついていけなくなりました。また、この年頃は「耳の聞こえない私を助けましょう」という先生の言葉かけも素直には響かなくなり、(そうは言ってもね)と思う気持ちが、大人と同じレベルに近づいていく時期なのだろうと思います。
いくつかエピソードを挙げると、例えば私は誰かを呼ぶときに、近くまで行って、肩や背中をトントンと軽くたたきます。そうした行動は聞こえない子にとっては自然ですが、一部の女子にうとまれ始めました。「叩かれた!痛い!触らないで!声を出して呼べばいいのに!」と言われてしまいました。
ほかには、授業中に先生が私のために復唱したり、少しでも流れを止めて黒板に書いたりすると「えこひいきだ」と騒ぐ女子がいました。また、女子トークで集まっているときに、私が入るとシーンとして、どうしたのと尋ねると「(あなたが)来たらテレビの話ができないからつまらない」と言われることもありました。
いずれも幼稚な行動ですが、これはいじめと見ていいのでしょうか。叩かれたり殴られたりしたわけではありません。言葉で、態度で、一部の女子に排除されていきました。これは今で言うマイクロアグレッションに当たるもので、日常生活のなかで見過ごされやすい差別的な言動を指します。マイクロアグレッションは、「見えない差別」と言われています。
先生もどうしようもなかったのか、私に対する言葉かけなどの配慮が減ったり、明らかに私が分からなくても言い直しをしなかったりすることが増えていきました。私は自分の居場所を図書室に移し、休み時間は図書室から借りた本を読んだり、次の時間の予習をしたりするようになりました。教室では、そうしたいやがらせに加担しない子たちと短く話すにとどめるというような時間の過ごし方をするようになりました。
インテグレーション(聴こえない子が地域の通常校に入り学ぶこと)で育つ聴こえない子たちは、マイクロアグレッションを経験する人が多いと聞いています。私だけのことではないのです。社会が変革すべきことは何なのでしょうか。「みんな違ってみんないい」と言いながら、(あの子がいると面倒くさいよね)と思われているのだろうなと感じることは、その後もたびたび続いていきました。
障害者差別解消法が功をなさないのも、結局は、身体的暴力やあからさまな差別用語を使った暴言などではない表面化されにくい部分の行動規範を明確にせず、罰則もなく、しかたないよねと思わせる同調圧力を許している構造があるからだと私は考えています。
(著者)
秋山なみ
大阪生まれ
精神保健福祉士と英検1級の資格を持つ。
神奈川県にある聾学校で15年間、中・高等部で英語教育に取り組む。
2021年に退職し、現在は京都で手話の普及に関わる事業に携わっている。
趣味は社交ダンス。