「可能性を信じる」ことで起こる奇跡
障がいの有無に関係なく、すべての人に才能と可能性があり、活躍できるフィールドがある
揺るがない信念のもと、2017年4月、私はそれまで14年間勤めた教員を退職し、スポーツメンタルコーチとして新たな挑戦をスタートしました。
今は、聴覚の障がいのある選手たちの可能性をさらに広げるために活動をしています。デフサッカー女子日本代表・デフフットサル女子日本代表のメンタルトレーナーとして帯同させて頂き、選手たち代表スタッフと共とデフリンピック、そしてワールドカップでの優勝を目指しています。
教員時代、そしてスポーツメンタルコーチとして活動する中で、様々なチームや選手と関わり、たくさんの感動の場面に出会ってきました。しかしその奇跡は、偶然ではなく必然だったと私は思っています。そして、それはなぜ起こるのか。少し紐解いてみようと思います。
【デフアスリートとの出会い】
私は2010年にろう学校に赴任するまで、聴覚障がいのある方と出会ったことがありませんでした。ろう学校小学部に赴任し、初めて聴こえない子供と接しました。幼稚部から専攻科まである学校だったため、グラウンドでは中学部、高等部の野球部が練習をしていました。私はワクワクしながらその練習を見学しました。それがデフスポーツとの出会いでした。
聴覚に障がいがあっても、スポーツが好きで真剣に挑戦し、一生懸命練習をしている生徒の姿に、ゾクゾクと鳥肌を立ったことを今でも思い出します。そして、聞こえない選手と共に夢を追い、情熱の溢れる指導者の方が多くいらっしゃることも知りました。
当時、日本や世界で活躍する聞こえないアスリート(デフアスリート)が、こんなもたくさんいることを知りませんでした。そして、世界のデフアスリートが目指すスポーツの祭典「デフリンピック」の存在も当時は知りませんでした。そんな状況から私のデフスポーツとの関わりが始まりました。
【高校野球 最後の打席】
それまで社会人チームで野球を続けていた私にとって、教員として野球部を指導することは夢でしたし、「野球を通じてろう学校の生徒たちの可能性を開花させていく」ことは、大きなモチベーションになっていました。
私がろう学校で野球指導をしていた時のエピソードです。部員の中に高校から野球を始めた生徒がいました。決して運動が得意だったわけではなく、その子なりに努力をして徐々に上達していきました。試合で活躍するにはまだまだ力不足でしたが、彼は3年間休まずに練習に通い続けてくれました。
彼にとって最後の夏の大会。代打で出場する機会を用意しました。ベンチにいる選手たちに私はこんな言葉を投げかけました。
「よく見ておきなさい。努力を重ねてきた選手は、こういう時に絶対打つんだ。みんなも信じてよく見ておけ!」と。
私も信じて彼の打席を見守りました。2ストライクまで追い込まれますが、彼の執念がバットに乗り移り、今まで見たことのないするどい打球が「カキーン」という甲高い打球音とともにレフトに飛び、レフト前ヒットを打って出塁したのです。ベンチは盛り上がり、チームは活気づきました。3年間で、彼が初めて打ったクリーンヒットでした。
「選手の活躍を信じ、それに選手が応える」
心が震える体験でした。
【やっぱり大学に進学したい】
専攻科で担任をしている時のエピソードです。ろう学校の専攻科は、就職を目指すためにより高度な知識と技術を学ぶ場所です。
今後の進路面談している時、その生徒が私に伝えてきました。
「先生、やっぱりもう一度大学を目指したいです」
高校3年生の時に大学進学の願いが叶わず、進路を変更して専攻科に進学した生徒でした。
本来、就職を目指していく専攻科で、大学受験を目指すことは学校としても異例でした。
しかし、私は「生徒が行きたい」と思う道を全力で応援することは教員としての使命だと思って、学部の会議で報告をしました。
しかし、この決断に他の先生方からは批判や大反対を受け、学校としても進学支援はしない。とまで言われてしまいました。
組織人としては、その意見に従うべきかもしれませんが、私は生徒の夢や可能性を教員が摘んでしまうことを、私は絶対にしたくありませんでした。
私は、先生方に問いました。
「挑戦する前から「合格できない」と、なぜ決めつけるんですか?」
「生徒が自分で決断し、挑戦しようと決めた人生に、なぜ大人が制限をかけるんですか?」
「生徒が本気で挑戦したいと思うことを応援するのが私たちの仕事じゃないんですか?」
学校として応援しないという決定がくだりましたが、私個人はその生徒をサポートしました。生徒と保護者と共に大学受験に挑戦していきました。
結果、その生徒は3大学の合格をもらい、志望していた国立大学にも合格しました。涙が出るくらい嬉しかったですし、一緒に喜びました。今は大学を卒業して立派な社会人として活躍しています。
周りがなんと言おうと、自分で決断したその夢は諦めないで欲しい。
「誰にでもある可能性を信じて関わる」ことの大切さを教えてもらった経験でした。
【お前が教員になれるわけがない】
このような思いを持つようになったのは、私自身の経験からでした。高校から大学に進学することが決まり、ある家族親戚の集まりの場で兄弟から「大学行って何したいの?」と聞かれたんです。
私は「高校野球の指導者になりたいから、教員を目指す」と伝えました。
その時、「お前が教員になれるわけないだろ」と家族、親戚から笑われてしまいます。
「できない理由」を延々と浴びせられ、私は苦しくて泣いていました。
無理もありません。家ではろくに宿題や勉強もしないで、野球ばかりやっていた高校時代。
時代も教員採用の倍率もかなり厳しい時でした。
過去、勉強はせずに好きなことばかりしていた私が、その難局を乗り越えるなど、誰も想像できなかったのだろうと思います。
しばらくして、私が悔しくて涙している時に、一人の叔父さんが声をかけてくれました。
「教員は簡単になれるものではない。でも、お前が本気で目指したいなら、覚悟を決めて挑戦してみなさい。」と。一人の叔父さんが私の可能性を信じてくれました。
その励ましをエネルギーに、私は小学校、中学校、高校、特別支援学校と全校種の教員免許を取得し、26歳の時に教員採用試験に合格することができました。
私を信じてくれたおじさんの存在が、私の人生を変えたのです。
【子供・選手の可能性】
子供や選手の可能性は計り知れません。その未来は誰にも予測は不可能です。だからこそ、どんな夢や目標も思い描き、行動し続けることでそのチャンスは必ずやってくると思います。
周りの大人がその制限をかけてはいけません。それは障がいがあったとしても同様です。
それを本人以上に信じて関わる人が一人いるだけでも、人生は大きく動いていくのです。
大人の皆さんは子供や選手の可能性を信じ、普段どんな言葉を選手にかけていますか?
チャレンジの機会を与えていますか?
【デフアスリートの皆さんへ】
皆さんだから、生かされる場所や舞台が必ずあります。
そして、そこに辿り着くことができます。
たくさんの才能と可能性が備わっています。
皆さんだから、誰かの力になれることがあります。
すべての人がこの社会で生きているだけで、誰かの力になれる存在です。
「聞こえない・聞こえづらい」ことへの無理解から、傷ついたことがあるかもしれません。
自分がこれ以上傷つかないように、遠慮したり、社会に抵抗してきたこともあるでしょう。
思いがうまく伝わらず、もどかしい想いをしたこともたくさんあったと思います。
聞こえる社会、聞こえない文化の狭間で、自分のアイデンティティを見つけられずに苦しんだこともあったのではないでしょうか。
もし、周りからの偏見によって、あなた自身が自分の可能性や才能に制限をかけてしまっているとしたら、もったいないことです。
あなたはあなたらしく、ありのままで挑戦してほしい。
皆さんは、自分自身にどんな可能性が秘めていると思いますか?
自分自身を過小評価していませんか?
自分の中にある可能性と才能を、まず自分自身が信じてあげてください。
周りの偏見、評価は関係ありません。
自分を可能性に蓋をするのか、解放していくのか。
それを決めるのは自分自身なのです。
日本のスポーツ界が、選手の障がいの有無は関係なく、選手が自分らしく挑戦できる場所や機会が増えていくことを私は心から願っています。「選手の才能や可能性を解放する」きっかけを、スポーツ界を担う皆さんの力を借りてもっと広げていきたいと思っています。
どんな辛い挫折や失敗した経験があっても、それを受け入れ、受けとめ、乗り越え成長と成果をあげているデフアスリートたちとともに、スポーツ界に奇跡を起こしていきたい。少しでも共鳴してくださった皆さんと共に、これからもデフアスリートの存在価値を高めていきたいと思います。
著者:高橋 基成
プロフィール
1979年新潟県生まれ。
2017年まで14年間特別支援学校、ろう学校で教員として働いたのち、今はスポーツメンタルコーチと活動。
デフサッカー女子代表、デフフットサル女子代表をはじめ、障がいの有無関わらずトップアスリートから小学生の子まで幅広く関わっている。
選手の心のケアから世界を目指す選手たちの本番で力を発揮するメンタルを磨くサポートをしている。