ろう者が英語を学ぶとき(6)

~聴こえない私の聾英語教育への挑戦~

Photo of a desk learning English

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おわりに 聴こえない子どもたちに伝えたいこと

 自分の耳が聴こえないとわかったとき、どんなふうに思いましたか。耳が聴こえない今の自分をどう思っていますか。聴こえるようになりたいと思いますか。あるいは、自分は補聴器や人工内耳で聴こえるから大丈夫と感じていますか。

 コミュニケーションについて、いまあなたの周りにいる人たちとの関係は、家族も含めて、うまくいっていると感じていますか。話の輪から取り残されたように感じたり、一緒に笑えないときがあったりして、どうしたらいいか分からないことがあったりしますか。

 あなたの周りに、同じように聴こえない・聴こえにくい仲間はいますか。ほとんどの場合であなたひとりだけが聴こえない・聴こえにくい状況であることが多いでしょう。

日本には、聴こえない・聴こえにくいことが障害者手帳で認定されている人たちが、34万人以上います。同じように聴こえない人たちと出会って、ひとりではないことを知ってほしいです。そして繋がっていきましょう。今はインターネットもあり、情報はたくさんあります。ピア(同じ障害をもつ仲間)との出会いから学び、自分を語る言葉をつむいでいきましょう。

 すでに聴こえない仲間とのつながりができ始めた人は、もしかしたら、聴こえや声で話ができるかどうか、口話を読み取れるかどうかの評価を気にしてしまうことがあるかもしれません。それはとても嫌な感情で、自分が苦しくなることでしょう。

でも、ひとつ覚えておいてほしいのは、聴こえる人たちの総体は、少しは聴こえるかどうか、あるいは、声で話せるかどうかを、実はそんなに厳しくジャッジしていません。声で話して通じることは、聴こえる人たちにとって便利で楽な方法であるという以上の意味はないのです。

 聴こえない・聴こえにくいことで、自分をだめだとか、誰かより劣っているなどと思わないでください。あなたをそういうふうに思わせる人が未熟なのです。でも、未熟で、理解の浅い人は、まだまだたくさんいます。そうした人と出会うのを、100%避ける方法はなさそうです。

だから、自分のことや聴こえのこと、また、手話のことや配慮してほしいことを伝えられるようになれたら、少し生きやすくなります。
 聴こえないからだめだ、むりだ、難しいと言われてしまう、思われてしまう状況で、どう生きていくか、あなたの体験は私の体験、私の体験はあなたの体験でもあります。あなたが思いを分かち合える場を見つけましょう。

 

聴こえる親たちに伝えたいこと

 耳が聴こえない・聴こえにくい子どもだったと分かったとき、どう思われましたか。ショックだったという気持ちだったかもしれません。私の両親もそうでした。まさか耳の聴こえない子が生まれるとは思わなかったと落ち込んだそうです。

これまで聴こえない人と繋がりがなく、手話のことを知らない人生だったら、ショックを受けるのは正直な気持ちだろうと思います。その思いを子どもに伝えるのなら、時期やタイミングを慎重に考えてください。伝え方を誤ると子どもは「生まれてきて悪かった」という気持ちになってしまいます。

 聴こえない子どもの90%は、聴こえる両親から生まれるそうです。同じような仲間は、繋がろうと思えば繋がれます。うちの子より聴こえがいい、とか、お話が上手にできる、とか、そういうことをつい考えて比較してしまうこともあるかもしれません。そうした感情を子どもは素早く察してしまい、劣等感をもってしまいます。

 では、親はどうしたらいいのでしょうか。逆説的かもしれませんが、しんどいときは無理に聴覚障害関係の集まりに行くことはないと私は思います。そして、ご自分の趣味を大事にしてください。子どもの聴こえないことや言葉の教育だけに気持ちがいかないようにしてほしいです。

なぜなら、あなたは聴こえない・聴こえにくい子どもの親であると同時に、ひとりの聴こえる人としての人生があるのですから、聴こえる世界での楽しみをこれまで通りに楽しむ権利があり、それを自分に認めることは大切です。耳の聴こえない子がいるから、聴こえる世界の趣味を諦めないと申し訳ない、などと思わなくてもよいのです。

 

すべての聴こえる隣人に伝えたいこと

 共生社会をめざすと言われて久しいですが、実際の私たちは、それぞれ属している社会のなかで、繋がる場所を自分で選択しています。自分と違う人がいることは、その人の数だけ工夫したり、配慮したりすることが増えます。

それが共生社会の意味なのですが、面倒くさいと思い、避けてしまいがちです。その理由は、工夫や配慮をするという教育をこれまで受けてこなかった世代が社会を動かしているマジョリティだからでないかと私は常々考えています。

 面倒くさいかもしれないが何かできないか、完全にはできなくても何か工夫できないかと、せっかく出会ったマイノリティの聴こえない人とのご縁を大切にして、繋がろうという気持ちをもっていただきたいです。

 それは、社会のあらゆる場面で言えることです。具体的に挙げると、近所のあなたなら、「おはよう」と声をかけるときに、声では聴こえないなら手を上げればよいのです。もっと長いことを話したければ、スマホのアプリに音声認識を入れ、それを使って話してみる方法もあります。お店でも同様の方法がとれます。スマホがなければ、オーソドックスな方法として、紙に書くこともできます。

 学校なら、どうでしょうか。地域の通常校では、毎日のように支援が必要になるので、支援員の配置ができるかどうか、入学がわかればすぐに人員配置を校長先生にかけあってほしいと思います。地域の要約筆記や手話通訳など、社会資源との繋がりをつくっていくこともできます。

 会社なら、どうでしょうか。朝礼があるところは、音声認識を使うところや、メールで内容を共有するところもあると聞きます。手話を覚えようという取り組みをするところもあります。会議には、制度を使って手話通訳者などを派遣してもらうと良いかもしれません。そうしたことは、ハローワークや障害福祉課と相談しながら、より良い方法を見つけていってほしいと思います。

 また、アルバイトはいちばん大変かもしれません。アルバイトのほとんどは接客業が多いからです。聴こえないと、雇われること自体が厳しいことも多いでしょう。しかし、手話や筆談で接客してはいけないのでしょうか。

「あのお店は手話で接客している子がいる」という状態が当たり前になるのが、理想の共生社会なのではないかと私は考えます。東京都国立市には、JR国立駅前のスターバックスがサイニングカフェを展開しています。そこでは手話や指さしで注文できる場となっています。

Photo of ballroom dancing with sign language
社交ダンスで手話を取り入れたデモンストレーション(2021年5月)

 私は大学時代にいつもノートテイクをしてもらっていたので、自分がしてもらうだけではなく、誰かのために働きたいという気持ちから、英語テキストの点訳ボランティアに関わりました。最近では、ろう関係の英語論文の翻訳プロジェクトにボランティアとして参加しました。聴こえない私の活動を通して、社会の理解を広めていくことはできないかと考えたからです。

 そして、2019年から習い始めた社交ダンスでは、ブラインドダンス(目の見えない人たちのダンス)に出会うことができました。そのブラインドダンスがきっかけで、障がいダンスの応援をしてくださっている成田雅延先生にお誘いいただき、昨年(2021年)初夏に手話のやり取りを取り入れたデモンストレーションに出していただきました。

photo of Blind and diff ballroom dance

2022年はブラインドとデフのデモンストレーションに挑戦!

photo of Blind and diff ballroom dance practice

 今年(2022年)は、ブラインドダンサーの宮川純さんと、デモンストレーションに挑戦しようと練習しています。共に楽しみ、障がいがあってもできることを知ってほしいという気持ちがあります。

 共生社会を実現するために、隣人としてできること。それは、マジョリティのコミュニティでの活動やイベントに、聴こえない人も含むマイノリティの人たちが参加できるように一緒に考え、整えることだと思うのです。

 ろう者ならまずは視覚的な情報保障を考えることになりますが、手話通訳者を呼ぶのはお金もかかり大変だからとすぐに諦めてしまわないでください。一緒に相談して、できる方法を見つけていく、そのプロセスが大事なのです。私も少しずつ、身の周りのことで取り組んでいきます。本稿を読んでくださったみなさまもまた、ろう者の隣人となり、コミュニケーションを始めてくださることを願っています。

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(著者)
秋山なみ
大阪生まれ
精神保健福祉士と英検1級の資格を持つ。
神奈川県にある聾学校で15年間、中・高等部で英語教育に取り組む。
2021年に退職し、現在は京都で手話の普及に関わる事業に携わっている。
趣味は社交ダンス。

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