大切なことは、相手や自分を知るということ
~視覚障害者からみた聴覚障害者~
私は生まれつき、視覚に障害を持っています。
左目は,先天性緑内障で、今は義眼,右目は小眼球という病気で、視力で言うと0.02くらい、目の前に立っている人がいること、何色の服を着ているかはわかるけれど、どんな表情をしているのかや、顔立ちはわかりません。
今回、これを書かせていただくにあたって,私の今までを振り返ってみました。
小さな頃から,音楽とお笑いがとにかく好きで、人見知りだけど、できるだけいろんなことをやってみたい!という気持ちは人一倍あると思います。
座右の銘は,「一日一笑」いつからかはわからないけれど、「多くは望まないから、自分も周りにいる人も笑顔でいられるような日々を送りたい」と思っています。
大学時代は,社会福祉を学びながら、学内のアカペラサークルや、社会人演劇サークルに所属したり、放課後等デイサービスでボランティアをしたり、ライブに行ったり、出演したり、いろいろなことに挑戦し、経験しました。
聞こえない人と踊る、よさこい
そんなたくさんの経験の中で、大学1年生の時、私にとって初めて聞こえない人たちとの出会いが訪れました。
(文中では、「見えない人」「聞こえない人」と表現させていただきますね。) その出会いというのが、日本テレビで毎年行われている、24時間テレビ内の企画、「見えない人と聞こえない人が共によさこいを踊る」というものでした。
私は人数の関係で途中から誘われて右も左もわからないまま参加しました。
当時の私は、手話をひとつも知らなかったし、聞こえない人がジェスチャーや指差しをしてくれたとしても、見えないし、どうやってコミュニケーションを取ったら良いか戸惑っていました。
でもそれは、私だけではありませんでした。
聞こえない人も見えない人も、みんな試行錯誤だったのです。
ダンスを見て覚えられない見えない人と、リズムに乗って踊ることができない聞こえない人、私たちが助け合い、楽しく過ごすためにはどうしたら良いか…
でも、そう難しく考えることはなかったのです。
見えない私たちは、見える聞こえる人の手も借りながら、週に4回以上ある練習の日々を通じて、自然とお互いにコミュニケーションを取れるようになっていきました。見えない人の踊りがまちがえていれば、聞こえない人が手を取って教えてくれる。聞こえる人の踊りがずれていれば、見えない人が手を叩いて見せ、教える。こうして、年齢や性別は関係なく、できないことを補い合う仲になっていました。
些細なことかもしれませんが、私には印象に残っている場面があります。踊りの中には,見えない人と聞こえない人がペアになって踊ったり、移動したりする場面がいくつかあり、その時のことです。
ペアになって踊るので、練習も二人ずつペアで行うのですが,先生が言っていることを、耳で聞いて理解する私と、手話やジェスチャーを見て理解する私とペアになった聞こえない彼女では、理解の仕方や感じ方が違います。
その時は,振り付けがイメージできず、難しいなと感じた見えない私と、フリは理解できたものの、テンポ感やリズムの合わせ方が分からず戸惑う聞こえない彼女がいました。
それでも、先生が個別に回ってくるまでには時間があり,その間、二人だけで練習を始めなければならない状況でした。
最初になんとかしようと行動したのは一緒に踊る彼女でした。
私の手を取って、動きだけでも教えようとしてくれました。
それに応えようと、私も、教えてもらったフリにリズムをつけて返しました。
その踊りには,二人で同じ動きをする所と、二人の違う動きを合わせる所があったのですが、
教え合えた結果、私たちは動きとリズムがわかったことによって,踊り出しさえ合わせられれば、二人でうまく踊ることができるようになったのです。
回ってきてくれた先生も、完成に近づいている私たちに驚いていて、それがお互い本当に嬉しくて、たくさん喜び合いました。
こんな経験を重ねた中で、私たちはお互いに、手話や点字の存在を認識、覚えながらの交流も深めることができたおかげで、最後には、お世話になった先生方や一緒に踊ったよさこいチーム、その年のパーソナリティーのNEWSへ、共同でメッセージカードをプレゼントすることもできました。
この経験がきっかけとなり、私は,聞こえない人とのコミュニケーションに、戸惑いを感じることは無くなりました。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク ダイアログ・ミュージアム より
対話の森で改めて気づいた自分の気持ち
そして今、私の職場、ダイアログ・ミュージアム「対話の森」には、見えない人,聞こえない人,見えて聞こえる人など様々な人がいます。
「楽屋」と呼ばれる控室では,出勤から退勤まで,さまざまなコミュニケーションが繰り広げられています。
声や手話や筆談、通訳したりされたり…
これらを皆が当たり前のように行なっています。
私は,このやりとりを、たまにあの、よさこいでの経験と重ねることがあります。
「しなくてはならないからする」
「話さなくてはならないからする」
ではなくて、
「したいからする」
「話したいからする」
楽屋で会話する皆がそんな思いでコミュニケーションを取っている気がするのです。
ダイアログ・イン・サイレンス ダイアログ・ミュージアム より
聞こえない人との関わりによって,変わったことは他にもあります。私は、ダイアログ・ミュージアムの中で,ダイアログ・イン・ザ・ダークのスタッフですが,以前,ダイアログ・イン・サイレンスを体験させてもらったことがあります。
ダイアログ・イン・サイレンスは音のない世界
音を遮断するので、見えない私は皆が何をしているか,ほとんど捉えられなくなります。
サイレンスのスタッフのお力を借りながら挑んだ90分間。
最初はドキドキが止まりませんでした。
スタッフや一緒にいる参加者が教えてくれることは、ちゃんと理解できるだろうか。
私はジェスチャーが苦手だけど,しっかり伝えることはできるのだろうか。
でもその不安は,時間が経つにつれて、どんどんと楽しさに変化していきました。
周りの人が教えてくれることや伝えてくれることが理解できなくても、わかりたい、知りたいという気持ちの方が前に出て、
自分のしていることが伝わらなくても、伝えたい、わかって欲しいから頑張りたい!という気持ちが前に出て、不安な気持ちや戸惑いの気持ちを、理解したい、伝えたいという気持ちが、軽々と上回ったのです。
普段の日常生活での私は,伝わりづらいこと,うまくできないなと思ったことを少しずつ諦めて、避けて通ってしまうクセがあり、変えなければとは思うものの,なかなか諦めずに伝え続けることができませんでした。
ですが、このダイアログ・イン・サイレンスの体験では,相手の方へ身を乗り出してまで,伝えたいという気持ちが生まれたのです。
この経験から,わたしは以前より積極的に聞こえない人たちとのコミュニケーションをしたくなりました。諦めず、伝え続けることをしたくなったのです。
今,この文章を書いていて、自分の人生や経験を振り返り思うことは、相手や自分を知ることは本当に大切なことだということと、見えない聞こえないなんて関係なくて、人の温かさは、いつまでも消えることのない、とても素敵な宝物だということです。
最後になりますが、
わたしの職場,ダイアログミュージアム「対話の森」をお知らせさせてください。
真っ暗闇な世界と音のない世界が同じ場所に、そこはきっと、人の温もりを感じられる場所ですよ!
ダイアログミュージアム「対話の森」
https://taiwanomori.dialogue.or.jp/
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ
https://djs.dialogue.or.jp/
最後まで,お付き合いいただきありがとうございました。
「一日一笑」
どうか、皆さんも笑顔で!
小川まりな(まりーな)
著者:小川まりな(まりーな)
大学時代、ダイアログ・イン・ザ・ダークにアルバイトとして関わる。卒業後もアテンドとして活躍。視覚障害者。