『ともだち100にん、できるかな?』
オレ流 Deaf Life (3)
オレ流 Deaf Life (1)
オレ流 Deaf Life (2)
小学校に入学する前のハナシ。
音漏れお構いなしに大音量のヘッドフォンを繋げて童謡の番組を見る。 その番組で忘れられない曲がある。
それは、
「いちねんせいになったら、ともだち100にんできるかな?
100にんで食べたいな ふじさんのうえでおにぎりをぱっくんぱっくん…」
という入学前の新1年生のウキウキソワソワ感を歌ったもので、曲名は「いちねんせいになったら」だった。
(よく考えたら、小学1年生で富士山登頂って…過酷な遠足だよね。)
まだ見ぬ小学校の世界はどんなものだろう?と、期待を胸に抱いて小学校の門をくぐった。
「ええっ!クラスメートが6人しかいないやん!!」
それどころが全校児童生徒合わせても100人にも満たないやん!
ともだち100にん出来ないのもそれもそのはず、一般の小学校よりも在校生が極端に少ないろう学校に入学することになったのだ。
そのろう学校では1年間だけ在校していたのだが、そこでの思い出といえば、流暢に話せるようになる為の「ようくん」が、一般の学校と異なるので印象深い。
「こくご」「さんすう」…といったおなじみの時間割に「ようくん」が組み込まれてあって、後になってそれが「養護訓練」の略称ということが分かった。
そこでやったことと言えば、「バナナ」や「リンゴ」といった単語を上手く喋れるかというような発話の訓練だったけど、この訓練が将来何のために役に立つのか?
小学1年生の僕でもこの授業に不信感を感じていたので、この時間は好きじゃないという反抗的な態度でたびたび怒られていた。
「バナナ」や「リンゴ」がうまく喋れたところで、社会で「バナナ」や「リンゴ」を言う機会は少ないと感じていたから、どうにもやる気のあがらない授業だった。
英語の授業で初歩的な「ジス イズ ア ペン(これはペンです)」も社会に出て、いつ「これはペンです」と言わなきゃならないのさと、想定しにくいシチュエーションに反発した感じかなぁ。
社会に出てもそれを言って生計立てられた人は、細面パンチパーマのお笑い芸人しか思い浮かばないしね。
お子様だった当時は、「バナナ」「リンゴ」よりも「うんこ」「ちんちん」が一番喋っていた単語だと思う。
そして、ろう学校の授業も年月と共に進んできた頃、「さんすう」のその時間にクラスメートがその問題に大きな声で答えた。
「答えは、3!」というと、先生からの「ちがーう!3だ!」とお叱りに。そのクラスメートも混乱しながら泣きじゃくっているのよ。
その子はちゃんと正解である「3」と認識して発声したのに、先生には「しゃん(3)」と聞こえ、正確に「さん(3)」と答えなかったからとのお叱りだったけど、答えは「3」と認識しているのだから「しゃん」でも「スリー」でもいいじゃねーか!
泣きじゃくるクラスメートとご立腹になる先生の阿鼻叫喚の教室に理不尽な怒りでムカムカしているうちに自分の背丈もメリメリと伸びてきた。
怒りの5センチアップ。
人は、腹が立つからみんな成長するのだ。
そこで関東大震災の朝鮮人大虐殺事件を思い出す。
地震のメカニズムがよくわかっていなかった頃の大正時代の関東大震災で日本中が大混乱に陥ったなか、地震が起こったのは朝鮮人のせい!だから、殺そう!と。
朝鮮人に「十五円五十銭」と日本語を言わせて、朝鮮人特有のアクセントがひっかかれば殺す!という物騒な思想が本当に我が国で起こった。
殺された朝鮮人達のなかには、日本語を流暢に話せない聾唖者も混ざっていて
流暢に話せなかったものは日本人ではないと見なして、銃声が響いたという。
荒療治かもしれないけれど、そういう事件も知ったうえで口話訓練受けたら、
また違ったモチベーションになったのだろうか。
「死にたくなかったら、流暢に話せ」と。
『ようくんの成果』
そんなろう学校とおさらばして、小学2年からは普通の小学校に転入することに。
2年生の教室に入ったら、クラスメートが40人!そして隣のクラスもその隣のクラスの3組まである!
一年遅れで「ともだち100人できる」可能性が広がった事に未来が広がった!
児童が40人もいるということは、教室の席のレイアウトがろう学校の時と異なる。
ろう学校の時は、先生を中心にU字状に座ったり、机を並べたりする。そうすることでお互いの顔を見合わせることもできる点が長所。
一方、40名の児童が在籍する普通校のクラスでは、全ての机と椅子が正面の黒板を向いている席配置である。
一番前の席へ座るようにと案内された。
教壇の一番前の席の方が教師の声もよく届くだろうという配慮は、よかれと思った事が裏目に出てしまう。
「ようくん」で培ったろう学校仕込みの読唇術で、先生の口元を凝視する。
飛び交う飛沫や舐めまわす唇まで一語一句見落とすまいと、じーっと先生の口元だけを追いかける。
そして、先生はくるりと背を向けて板書しながら、なにかを言っている。
その瞬間、僕の背後の児童達のドワーッというどよめきに、孤立した気持ちになる。
ろう学校であれだけ「バナナ」「リンゴ」と読み取る訓練をしても背を向けて話されては、こちらもお手上げである。
いつしか諦めモードになって、授業中は上の空。
『これって、逆障害者差別?』
一般の小学校の全校生徒が大体600〜700名で、それが昼休みになると、校庭や体育館があっという間に密集状態に。
ドッジボールなどのボール遊びに夢中になっていると、体力を使い果たしたのか昼休みが終わってもクラスの仲間と一緒にゆっくりと教室に向かう。
「ドッジボール疲れたな!少しぐらい授業に遅れても大丈夫だよね」
「大丈夫、大丈夫!怒られるときはみんな一緒だよ!!」
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という謎の理論で授業の始まった午後の静まり返った廊下を談笑しながら歩き勢いよく教室のドアを開けたら、そこには、鬼の形相をした担任が仁王立ち。
昼休みを終えた後の教室に戻るのが遅くなった仲間たちに対して、先生のお説教が始まった。
大目玉を食らっている様をクラス全員が沈黙の白い目。
「横一列に並べ!なぜ遅れた?!理由を言えっ!」
教室の壁際に僕を含めた仲間が壁沿いに一列に並んだ。
さっきまで威勢の良かった男の子がボソッと遅れた理由を伝えるとバコーンと頭にゲンコツ!
大人の本気のゲンコツを目の当たりにし教室にシーン…と重い空気が漂う。
「次!お前は?言えっ!」
硬直状態の二人目の仲間もポカリとゲンコツを喰らい、いよいよ僕の目の前に立ち止まった。お叱りのポカリを受ける覚悟の上、極度の緊張で先生と対面。
1秒2秒3秒…無言で見つめられた後、素通りされた。
(ポカリするかと思ったら、せえへんのかーい!)
「ポカリすな!ポカリすな!ポカリするかと思ったらせえへんのかーい!」
という一連の流れは吉本新喜劇を思い出させるが、実話である。
そして、僕を素通りしてお隣の3人目の仲間も先生からのポカリを喰らい、一緒に罰を受けることで友情を確認したはずの仲間からの「うらぎりものめー!」とでも言いたそうな白い目になんとも心が痛くなったものだ。
ゲンコツは受けなかった代わりに僕は心に大きなタンコブができてしまった。
これこそ3歳の時の幽霊になった気分が、ここでまた自分の存在をスルーされた幽霊のような気持ちになる。
健常者だろうが障害者だろうが、ルールを破ったらみんな一緒に怒られろ!
《著者》
善岡 修(よしおか おさむ)
北海道小樽市出身/デフ・ファミリーの長男
2002年に人形劇団「デフ・パペットシアター・ひとみ」に入団
2015~2018年 NHK・Eテレ「みんなの手話」番組講師
2020年 デフ・パペットシアター・ひとみ退団
現在、飲食廃油を回収するエコ活動に精を出している