~微笑みの障害~『聲の形』西宮硝子の笑顔の裏

映画『聲の形』公式サイトより  http://koenokatachi-movie.com/

 

大今良時氏によって『別冊少年マガジン』2011年2月号にて掲載。2016年には劇場版アニメーションも制作されました。全日本ろうあ連盟監修のもと、道徳教材化もされています。

あらすじ
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。しかし、 硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。やがて五年の時を経て、別々の場所で高 校生へと成長したふたり。“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。これはひとり の少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。

映画『聲の形』公式サイトより

 
 

『聲の形』は聴覚障害者へのいじめが題材になっています。基本的に聴覚障害のある西宮硝子視点ではなく、いじめていた聴者側の石田将也視点で語られます。

聴覚障害者は見た目では分かりにくい障害だと言われますが、単に「聴こえないということがはた目から分かりにくい」ということだけではありません。それによってどんなことが起きるのか、コミュニケーションの難しさといったことがまだまだ社会に認知されていないと感じます。本作はそこに聴者視点であえて切り込んだ意欲作と言えるでしょう。それゆえに『聲の形』を見ることが辛い、見たくないという聴覚障害者の声も多く聞かれます。

聴覚障害当事者でもある筆者もそうですが、一般の学校や難聴学級等で聴者と混じって学校生活を送った人の大半は、こういったいじめの経験を大なり小なり持っています。それによって自己肯定感が低くなりがちで、社会に出てもうまくいかないことが多かったりします。うつ病になり、引きこもってしまう方もたくさんおられます。

 

また、いじめだけでなく聴覚障害者が、大勢の人たちの中で会話が分からずに孤立することは多々あります。大勢の人とご飯を食べながら、お話しているところを試しに思い浮かべてみてください。楽しい話ほど会話のテンポが速く、読唇術をしたくても誰の口が動いているのかを追いきれません。もぐもぐさせながら話していたら、口の形も本来とは違って読み切れません。人によっては相手の顔を見ずに話すことも多いです。それでは誰が誰に向かって話をしているのかも読み取れません。

かといって、会話を止めてまで周りの人に聞いて理解しようとすると、場が白けてしまうこともあります。会話の流れや雰囲気というものもあります。毎回会話を筆談してもらう訳にもいきません。たとえそれで、みんなが笑った理由が分かったとしても『みんなと同じ瞬間には、同じ熱量では、決して笑えない』のです。

 

そしてそれを、周囲になるべく気取られまいとします。自分が完全には参加しきれていないという事実を、周りに負い目に感じて欲しくないと考える人もいます。分からない事実自体はもう諦めていて、盛り上がっているのを眺めているだけでいいんだと達観している人もいます。当人の個々の性格によって複雑に変わってきます。

 

それによって取る行動のひとつが「愛想笑いや微笑みを浮かべ、場に混じっている雰囲気を壊さないようにする」ことです。聴覚障害の程度に限らず、非常に多くみられることのようです。これは、孤独の解消に対する解決法ではないとはいえ、そうするほかにないからこその行動です。

これを指して『微笑みの障害』と呼ぶことがあるようです。西宮硝子の愛想笑いにはこういった事情が隠れているのです。

 

 

神奈川県は2015年4月に施行した神奈川県手話言語条例に基づき、手話普及推進を図るため『聲の形』とコラボレーションしたリーフレットを作成。

 

学生時代、口話や筆談でなんとか聴者に合わせて過ごしてきた。しかし、いじめを受けたりどうしても聴者とうまく馴染めないことに悩みながら学校生活を送り、大学生や社会人になって初めて手話と出会うことで“自分は聴者ではなく、本来は手話をするコミュニティの人間だったのだ”と思うことでアイデンティティの再構築をし、再び人生を歩きだす人の話も聞きます。

当サイトを運営している一般社団法人4Heartsは、人生のどの時点であっても自分らしい生き方で、ありのままのアイデンティティを認め合える社会にするために活動しています。そのためには、いついかなるときにも多くの選択肢が、常にその人の前に用意されているのが理想です。

 

もしこれを読んでいる方の中に、過去や現在に「補聴器あるいは人工内耳を耳につけている子がいた」「発声がどことなく歪な子がいた」「手話を使っている子がいた」と思われる方にお伝えしたいことは、ただ一点だけです。
過去に自分がいじめていたかどうか、いじめを見て見ぬフリをしていたかどうかを自問自答してください。

【いじめは心の殺人である。】

このことにしっかりと向き合い、ご自身だけでなく、ご自身の子どもたちや周囲の人にきちんとした知識を促し、少しずつ偏見を減らしていきましょう。