カンの良さで発覚が遅れた先天性難聴

沈黙の音の中で、私はサイボーグになろうと思った。#1

沈黙の音の中で、私はサイボーグになろうと思った。#2↗

 横断歩道の白線が、青く点滅している。見知らぬ人が次から次へと、私の横を急ぎ足で通り過ぎた。ふうっと息を吐ききって、心を無にする。背筋を伸ばし、虚空を見つめた。ここは、渋谷スクランブル交差点。

 そびえ立つビルの壁面にかけられた大型スクリーンが、空の端で流れるように動いている。さまざまな人種、いろんな事情を抱えた人が集まる東京で、誰かが変わった格好で立っていても、誰も気に留めたりしない。雑踏の塊は、次第に道路の端に吸い寄せられていった。
「いいよ!戻って!」
まばゆい光と喧騒に包まれながら、その声は、横断歩道の真ん中で突っ立っている私の耳には届かない――。

沈黙の音の中で、私はサイボーグになろうと思った。

 

 

 『窓ぎわのトットちゃん』が出版され、国連総会で「国際障害者年」が宣言された1981年、私は神戸の産院で産声をあげた。とりあげた助産師さんが、私の目が青いのにたいそう驚いたそうだ。しかし、それ以外は違和感もなく、とても元気な赤ん坊だった。いや、元気すぎて手に余った。

おっぱいはなかなか飲まないし、好奇心旺盛で探検をしたがる。歩行器はもちろん、プラスチックでできた足けり車に乗れるようになったら、もう片時も目が離せなくなった。ある時は、足けり車ごと階段を転げ落ちた。ある時は、天井まである桐タンスの取っ手をよじ登り、天井とタンスのすき間から降られなくなって泣いていた。思えば当時から、女の子という世間の枠からはみ出た、やんちゃの限りを尽くす型にはまらない子だったのかもしれない。

 

baby time photo of Nasu-san

 

 しかし、ちょっと他の子より手に余る元気な子というには、どうにも違和感を感じてきたのだろう。親は私の後ろにまわって、声をかけたり手を叩いて呼んでみたりした。即座に振り返るときもあるし、何かに集中していると反応しないときもある。言葉も遅れていると感じていた。

親は、3歳の私を連れて保健所に相談に行った。しかし、医者には「聴こえてますよ」と言われた。聴こえのチェックのため、跳び箱に私を乗せ、医者が笛を吹いたら飛び降りたからだ。
「自閉症なのではないか」と言われながらも、違和感の正体を求め、さらに病院を転々とした。

 ある日、テレビに近づいて耳を当てて聞こうとしていた私を見て、この子はもしかしたら、やっぱり聴こえていないのではないか、と思ったらしい。そう考えれば思い当たるふしがいくつもある。今度は、当時住んでいた神戸の個人耳鼻科にかかった。すると、総合病院への紹介状を書くからそちらへ、ということになった。

総合病院では、やんちゃ盛りの私を麻酔で眠らせ、音を聞かせた際の脳波を解析する聴力検査をした。ABR(聴性脳幹反応) 検査というものだ。検査の結果が親に告げられた。

 

先天性両感音性難聴。
この子は生まれつき、耳が聴こえていません――。

  

Nasu-san Photo

著者:那須 かおり

心理カウンセラー。一般企業勤務を経て、2020年5月一般社団法人4Heartsを設立。
生まれつき重度聴覚障害。様々な誤解を受けたり、困りごとをうまく伝えられずにいた自身の経験から、気持ちを言語化することの大切さを伝えている。
2019年、左耳に人工内耳手術実施。

沈黙の音の中で、私はサイボーグになろうと思った。#2↗
沈黙の音の中で、私はサイボーグになろうと思った。#3↗