お股の間からこんにちは

オレ流 Deaf Life (1)

Author's baby photo
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オレ流 Deaf Life (2)

お股の間から「こんにちは」した瞬間から
自分の年齢がカウントされ始めるものだから、ちょっと困惑している。

ずっと目を閉じていて、それが寝ているのやら意識はあるのやらよくわからなかった赤子だった間にも1年2年と…
生きていた証のカウントが進められ、物心ついた頃に初めて見たのであろうホールケーキに
「3さい おたんじょうび おめでとう」の文字が。

いつの間に3歳になったのだと。

胎児から新生児 そして乳児。
その間の意識や記憶が全くないのは、本当は3歳までVRゴーグルでもはめられたのではないだろうか?

見えてから信じる。
見えないものは信じない。

だから目の開いてなかった3歳以前のことなんて「なかったこと」にも出来るし、「あんたは橋の下から拾われたのよ。」とか「実はコウノトリから運ばれてきたのよ」とか僕の空白の3年は、周囲の人たちの証言で埋められる。

講演や取材で自分の生い立ちを振り返る機会はあるけれど、それは思い出すのもとっても重労働で、3歳以前の空白の境遇なんて思い出すのも大変なんじゃい!と、もがき苦しみながら、ずっとモヤモヤしていた。

なぜに、こんなにも悩まなきゃならないのかというと、こんな質問が時々出てくるからだ。

聴覚障害者によくある質問ベスト3のうちのひとつ、「いつごろから耳が聞こえなくなったのですか?」である。

 

「いつごろから耳が聞こえなくなったのですか?」

Photo of childhood
                        by PhotoAC

父も母も「ろう者」で、僕が育った家庭環境では、両親が手話で会話するのを見てきて育ってきた。

テレビの影響というのは、幼少期の育成に少なからずあるのではと思う。

手話を使う家庭環境が、他の世界と異なるという事を自覚したのは、あるテレビドラマを見てからだった。

3歳の頃に住んでいた古びたアパートには、赤いテレビがあった。

ブラウン管式のカラーテレビの電源の位置は、モニターの右下についている。

テレビ画面の前面の下に電源ツマミがついているということは、お子様でも容易に電源に手が届く。

Old small TV picture

「よい子はマネしないでね。」という忠告を無視して電源ツマミをひっぱると、数秒後してモニターの中のブラウン管が温まり、じわりじわりと画面が鮮明になっていく。

記憶もおぼろげながら、人生で初めて見たかもしれないドラマはこんな場面から始まった。


和室にて布団の中でおじいちゃんが寝ていた。
障子がサーッと横に開いて、和室に入ったおばさんが、おじいちゃんに声をかけた。

「おじいちゃん起きて。おじいちゃん?…おじいちゃん! 大変!おじいちゃんが動かない!」

その瞬間、場面が変わって
おじいちゃんのお葬式が始まるーー。

 

おじいちゃんがぽっくりと亡くなる
そのドラマのワンシーンは日常生活の中でも起こりえるシーンですが、3歳の僕にとっては、衝撃的なワンシーンだった。

おじいちゃんを耳元で呼んでも反応しないと、いうことは…
『聞こえない=死んでいる』という構図を認識した3歳の僕は、夜中に何も知らないで寝ているろう者の父の耳元で声をかけても反応しないことに『聞こえないから死んでいるのだ!』と夜中にえんえん泣いていた記憶がある。

あの時、夜鳴きが止まなかった理由は、それだ。

 

死生観について外せない映画の話になるが、1990年に公開した映画で「ゴースト/ニューヨークの幻」という映画がある。

出演者はデミ・ムーアとパトリック・スウェイジが恋人役で、彼氏であるパトリック・スウェイジが、ニューヨークの暴漢に襲われて命を落とし、幽霊(ゴースト)となってこの世を彷徨う。

現世の生きている恋人のデミ・ムーアと出会い、声をかけるも、幽霊となったパトリック・スウェイジ自身の声は届かない。

幽霊のパトリックの声が現世の生きている人たちには、声が届かないという設定は、僕が3歳の時に感じた世界を体現しているようだった。

父も母も耳が聞こえないので、声での呼びかけに反応しないということが、「呼んでも聞こえない=ひょっとしてオレ死んでいる?」という、成仏できない幽霊になった気分でフワフワしていた。

声で父や母を呼んでも反応しないのに、手話には反応していることから、手話に反応する回数が多ければ多いほど、少しずつ自分は幽霊じゃなかったんだという疑念が晴れてくる。

自分が幽霊と思い込んでいたというエピソードは、手を握る、おんぶする、だっこする、ハグする…といった生身の人間と触れ合うことで、「あぁ、よかった。オレ幽霊じゃなかった…」と生きていることを実感する。

そのあたりから世界が広がっていく気がするから、「あんたは幽霊じゃないのよ。」と、ハグから伝わるメッセージというのは、言葉いらずで、すげえなぁと思う。

今、思えば子供のスキンシップが激しいのは、そういうことじゃないのかな?
触れることで生きていることを確かめているのでは?

《著者》

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善岡 修
北海道小樽市出身/デフ・ファミリーの長男
2002年に人形劇団「デフ・パペットシアター・ひとみ」に入団
2015~2018年 NHK・Eテレ「みんなの手話」番組講師
2020年 デフ・パペットシアター・ひとみ退団
現在、飲食廃油を回収するエコ活動に精を出しています。

オレ流 Deaf Life (2)