小宮山日記(8)

2025年夏からアメリカ・ワシントンにあるギャローデット大学(Gallaudet University)へ、社会人として留学している小宮山さん。 世界でも数少ない“聴覚障害者のための大学”で学ぶその挑戦を、コラムとして届けていきます。
日本とは異なる文化や環境の中で、小宮山さんが何を感じ、どんな視点を持つのか。等身大の言葉で綴られるリアルな声を、どうぞお楽しみに。

アメリカに来て、気付けば3か月が経った。
ちょうど1週間の秋休みが終わり、これから最終テスト、最終プレゼン、論文提出に向けて一気に忙しくなる時期だが、最後まで後悔なくやり切りたい。ASLの読み取りには少しずつ慣れてきたものの、宗教や政治といった複雑なテーマになると追いつけないこともあるため、背景知識をもっと身に付ける必要があると改めて感じた。今回は、ろう学校訪問、3週間の集中講義、日本から来た友人のプレゼン通訳など、秋学期後半に経験した様々な出来事を振り返りたい。

10月中旬から11月上旬にかけて、約3週間のろう者学の集中講義が行われた。参加メンバーはオマーン、ヨルダン、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツなど多様で、文化も言語も大きく異なる。しかし議論を進める中で、各国のろう教育に共通する根本的な課題が浮き彫りになった。多くの国で、ろう児の大多数が聴者家庭に生まれ、人工内耳手術を受け、普通学校へ進学する傾向がある一方、情報アクセスが十分でない環境で育つことで、読み書きや概念理解に困難を抱えるケースが多いという点は共通していた。

日本でも一部の法律で手話が言語として認められるようになったが、全てのろう学校で手話環境が整っているわけではない。制度が変わっただけでは現場はすぐには変わらず、「法律制定のあとに何を具体的に行うか」が極めて重要だと改めて感じた。

また、黒人ろう者学の第一人者による講義からは、黒人と白人で手話が異なるという文化的背景を学び、多文化国家アメリカに根付く複雑な歴史に触れた。さらに、Deaf President Now(DPN)運動に実際に参加した3名による講演では、聴者中心社会の中で権利を勝ち取るために行動した当時の思いが語られ、その歴史的影響の大きさを実感した。ADA法成立につながったことを思えば、社会を変えるには声を上げるだけでなく、「誰が・何を・どう行動するか」が欠かせないのだと強く感じた。
(Deaf President Now(DPN)運動は、1988年にギャローデット大学で起きた、ろう者による史上初の大規模な権利運動。大学が3名の候補の中から「唯一の聴者」を学長に選ぼうとしたことに対し、学生や教職員、卒業生が「ろう者の大学にはろう者の学長を!」と抗議を開始。最終的に要求が受け入れられ、初めてろう者の学長が誕生。この運動はアメリカ全体に大きな影響を与え、ADA(障害を持つアメリカ人法)成立の後押しにもなっている。)

以前から希望していたメリーランドろう学校の訪問もついに実現した。幼稚部から高等部まで備えた大規模校で、各学部の先生方がとても丁寧に案内してくださった。特に印象に残ったのは、幼稚部ではASLと英語を明確に区別し、それぞれの言語として大切に扱っている点。そして小学部では、生徒一人ひとりの英語読解レベルに応じて教材を丁寧に準備していた点だった。ASLと英語は全く異なる言語であり、まずは生徒が自分の母語で概念を理解できることが大前提だという先生の言葉が強く心に残った。この考え方は日本の明晴学園にも通じており、日本においても「まず母語で確実に理解できる環境」の重要性を再認識した。

先週、日本から友人が4泊6日で訪れ、大学内のホテルに滞在しながら授業参加やプレゼン、ワシントンDCでの観光を楽しんでいた。プレゼンでは、最近札幌ろう学校で起きた「先生が日本手話を使わないため、生徒が母語で教育を受けられずストレスから裁判に発展した問題」をテーマに、日本とアメリカの違いを紹介した。当日は学生や先生合わせて15名ほどが参加してくれたが、ほとんどが驚いた表情をしており、日本とアメリカの権利意識の差を改めて感じた。

また、私は今回初めて「日本手話 → 日本語 → 英語 → アメリカ手話」という流れで通訳を担当したが、頭の切り替えが想像以上に大変で、自然な通訳の難しさを痛感した。この経験をきっかけに、もっとASLと英語力を鍛えたいという思いが強くなった。忙しい日々の中でも、一つひとつの学びが将来の目標につながっていると感じる。
残りの秋学期も、後悔のないように最後までやり抜きたい。

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