小宮山日記(2)
2025年夏からアメリカ・ワシントンにあるギャローデット大学(Gallaudet University)へ、社会人として留学している小宮山さん。 世界でも数少ない“聴覚障害者のための大学”で学ぶその挑戦を、コラムとして届けていきます。 日本とは異なる文化や環境の中で、小宮山さんが何を感じ、どんな視点を持つのか。等身大の言葉で綴られるリアルな声を、どうぞお楽しみに。

明日は私の誕生日。最近は時の流れが本当に早く感じられて、ふとしたときに驚くことが増えた。
でも不思議と、こうすれば良かったと後悔することはあまりない。
それはきっと、”あれ、やってみようかな””これ、ちょっと気になるかも”と思ったことを、その時々でちゃんとやってきたからだと思う。やってみてうまくいったこともあれば、途中でやめたこともあるけど、どれも私にとっては大事な経験だったなと。
今、私は聴覚障害者の就労支援のあり方について学ぶために、今年の8月からアメリカでの留学に向けた準備を進めている。ここまで来られたのは、自分の行動力だけでなく、たくさんの縁があったからこそだと感じている。
今日は、そんな”学びたい”と思うようになったきっかけについて書いてみようと思う。
中高時代、祖母が曾祖母の介護をする姿をよく見ていた。その姿に自然と影響を受けて、将来は介護の仕事をしたいと考えるようになった。
私自身、聴覚障害があることもあり、介護と障害の両方について幅広く学べる大学に進学することを決意。大学2年のとき、介護施設で1週間の実習を経験した。利用者の方と筆談でお話ししたり、寝たきりの方の入浴介助を見学させてもらったりと、本当に貴重な時間だった。でも、現場を知る中で、介護の仕事は”人を助けたい”だけではやっていけない厳しさがあるのだと痛感した。
特に印象に残っているのは、毎日のように自分の子どもの話を嬉しそうにしてくれる利用者の方のこと。実際にはその方の子どもは施設に一度も面会に来ていないのだと知り、胸が締め付けられた。もし自分がこの仕事を続けるとなったら、心が折れてしまうかもしれないと感じた。
そんな時、同じく聴覚障害のある大学の先輩から、聴覚障害者の離職率が他障害(知的障害や発達障害、精神障害等)高いと聞いた。ちょうどその頃、カフェのアルバイトをしており、周りのスタッフとのコミュニケーションに苦労する場面も多く、「聞こえない」という障害があることでストレスを抱えて辞めてしまう人がいるのも、何となく想像はできていた。
でも、それ以上に驚いたのは、聴覚障害者に特化した就労支援施設が全国にたった3か所しかないこと。こんなにも多くの人が困っているのに、専門的な支援体制が整っていないことに、大きな違和感を覚えた。だからこそ、自分ももっと深くこの分野を学びたいと思うようになった。自分自身の経験をもとに、聴覚障害者の就労支援に携わりたいと思っている。
次回は、聴覚障害者の就労移行支援事業所で実習やアルバイトをした時のことについて書こうと思います。


