note更新中

4Hearts代表の那須が、これまでの活動から得られた気づきをもとに4Heartsの目指すあり方を含めてnoteに綴っています。

どんな思いでどのような活動をしているのか。
WEBサイトでは表現しきれない部分を言語化しておりますので、よろしければご覧ください。

下記に一部をご紹介します。

ズレを解きほぐすという革命。

コミュニケーションバリアを”まちづくり”として変えていく

「福祉団体なんですか?」と聞かれ続けてきたけれど

「聴覚障害のある那須さんが活動してるってことは、きっと聴覚障害者支援の団体なのかな」

多分、これまで何百回も、そんなふうに最初の思い込みで見られてきたと思います。でも私たち4Heartsがやっていることは、いわゆる“福祉”という枠ではうまく語れません。

私たちは、「まちづくり」という言葉を使っています。
それは、誰かが誰かを“支援する”という固定された関係ではなく、社会の側も、当事者も、一緒に変わっていくことが必要だと思っているからです。

障害福祉制度は、支援の「重さ」や「等級」で線引きされる構造があります。それによって、重度であっても外見からわかりにくい障害や、軽度であっても日常生活に支障があるケースは、制度的な支援からこぼれ落ちやすい傾向にあります。

たとえば聴覚障害でも、補聴器をしていて一見会話ができそうに見えると、「大丈夫そうだよね」と判断されてしまったり。目に見えにくい困りごとは、“わがまま”や“配慮を求めすぎ”と受け取られることさえあります。

でも本当は、そういう「曖昧な困難さを抱えた人たち」こそが、一番「分かってもらえないし、頼れない」状態で日々を過ごしている。

制度の枠では測れない困りごとを可視化し、一律の「支援」ではなく、関係性や対話の中でこぼれ落ちる声を拾い上げる。
そういうアプローチが、私たち4Heartsが「まちづくり」と呼んでいるものの一つです。

4Heartsが私たちの活動を「福祉」ではなく「まちづくり」として捉えているのは、支援の“対象”を定めるのではなく、“関係性の設計”そのものを問い直す取り組みだからです。

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スローコミュニケーションプロジェクト

対話から見えてきたこと

4Heartsの初期に、「みみここカフェ」という哲学対話のイベントを2年ほど続けていました。
最初は、聴覚障害児の親御さんが来てくれたらいいな、くらいの気持ちで始めたのですが、ふたを開けてみたら、聴覚障害に限らず、健常者、車椅子の方、精神障害のある方、視覚障害、難病、LGBTQの方、子どもなど、いろんな背景を持つ人が自然と集まってきました。

なぜそうなったのかは、今でも正直よくわかりません。
でも一つ言えるのは、「多様性」って、属性のカタログじゃないんだな、ということです。

目に見える特性があってもなくても、みんなそれぞれに事情を抱えていて、社会の中で負い目を感じたり、遠慮して自分を押し殺したり、気づかれないくらいの小さな“あきらめ”を積み重ねて生きている。

そういう「こころの低温やけど」みたいなものに、
ちゃんと目を向けることが大事だと思っています。

特別な「配慮」や「思いやり」ではなく、
人と人がつながるときに当たり前にある、慮(おもんぱか)る力。
それが、特性の有無や背景に関係なく自然に交わされる社会。

【慮る】おもんぱかる:よくよく考える。考えはかる。おもいめぐらす。(広辞苑)
相手の状況や感情を深く思いやり、慎重に考慮すること。相手が置かれた立場や感情、背景を想像しながら「どうすれば相手がより良い状態になれるか」を深く思慮する姿勢。

社会が本質的に変わるには、場や関係性をつくるだけでなく、それを通じて人々の意識と行動が変わる必要があります。
それは当事者も社会も。

続きはこちらから読めます。
https://note.com/nasukaori/n/n71c0da767671