静かなレンゲ畑~失聴の記憶から~

サイボーグをやめました?! (1)

TON-san photo in childhood

 

「んん~~!ナニコレ酸っぱぁ!」
私は酸味強いものを食べると頭がブルブル震えるくせがある。大好きなリンゴが熟過ぎて傷んで酸味強くなっていたのだ。
「ふふっ、そういうところはあかちゃんのときから変わらないねぇ」と母が目を細めて言う。
生まれてから半世紀近くなるというのに、あかちゃんから変わらないとは…意外だった。

 

梅雨が明けるかという時期にちょっと肌寒い時間にわたしは生まれた。
母児手帳に男女の性別欄に間違えて男に丸を付けてしまうほど、性別が分かりにくいあかちゃんだったみたい。
1週間後、この月で最高気温33度を記録したときは、あまりの暑さでぐったりしてしまい、氷のうをあてて冷やしていたそうだ。
順調に育ち、興味あるものはあっちこっち行ったり、口に入れたりしたおてんばっぷり発揮していたようで、顔にかかる火傷を負ったり、こけしを舐めて漆かぶれたりしていたそうだ。
妹が出産するとき、母の故郷である佐賀へ里帰り出産することを決めて、半年ぐらい住んでいた。
おてんばな私を面倒見てくれる人が東京にいなかったらしく、おばあちゃんちで暮らしていた。
父は忙しく帰りが遅く、朝帰りもあったらしく面倒見られないからだった。

 

ごろんごろん。
暖かい日差しのある日、心地いい音がする土鈴をおばあちゃんからもらった。
「ほら、お土産、よかたい」
九州独特の方言でバリバリ喋るおばあちゃんが嬉しそうに話しかけられた。
嬉しくてスカートのベルトに付けてもらい、歩くたびにごろんごろんと聞こえて心地よかった。
その音がまさか最後になるとは…
そして、ずっとずっと記憶に残ることになるとは思わなかった。

 

Childhood TON-san photo in the flower garden

 

翌日朝起きると、なんだか音が遠くにあるような感じで土鈴の音がよく聞こえず、何度も耳のそばで揺らしたりしていた。聞こえるけど、音が遠い感じだった。
散歩行くというので大きなレンゲ畑へ行き、不思議な体験をした。
風が顔に当たるのに音がしない。
地面を踏む音がしない。
叔母さんのそばだと声は聞こえるのに、離れると聞こえない。
すべてが静かな世界で怖かった。
この時に叔母が撮影した写真がある。笑顔が消えて不安そうな顔をしている。

 

妹が生まれ落ち着いたころ、東京に戻り、色んな病院へ連れ回された。
こども病院で一番大きく、評判がよかった病院で聴力検査を受けることになった。
プレイルームのようなところで、音がする方を振り向いたり、音がなっているところにボタンを押したりして聴力検査を受け、中度難聴と判定され、障害者手帳4級と認定された。
母は妹の出産と私の障害認定でずっと休まる時がなかったそうで、踏切でぼーっと立っていたことが私の記憶にあり、もしかしたら、死にたかったのかもしれない。
後日に聞くと、「覚えていない、疲れすぎてぼーっとしていたかも?」とニコニコと答えられた。

 

やっと補聴器をつけるようになったのは、少し遅く、ろう学校に入ってからだった。
補聴器がなかなか手に入らなくて、聞こえなくなったときから補聴器をつけるまでの間はあんまりよく覚えていない。自分の声がきこえにくいので、叫ぶように喋る感じだったこともあって、うるさい!と怒られっぱなしであんまりしゃべらなくなったような気がする。
聞こえにくくなった時期から補聴器をつけるまでの間が2年ぐらい、言葉の発達が遅かったので、もしかしたら自閉症かもしれないと言われたところもあったけれど、そんなことを気にしていなかったみたいでした。手話ではないけど、身振りで理解できたところがあったそうだ。
初めて補聴器をつけたとき、母の声がよく聞こえて、初めてなにを言っているのかわかった。
「聞こえる?よかったねぇ」


このころから落ち着き始めて口話訓練をイヤイヤいいつつ、積極的に受けていたそうだ。
聴能はよくて、発声がよくなかったようで、ろう学校幼稚部の訓練で鍛えられてほぼ身につけたと思う。

 

  

著者:TON(とん)

1971年東京生まれ。
教育系短大を出てサービス系の一般企業に勤める。
転職して現在は世界で展開する飲食業の本社勤務。
1991年世界ろう者会議がきっかけで手話を興味持ち始める。
ハンドボールで活躍し、元国体千葉県代表。
2002年DPI(障害者インターナショナル)世界会議札幌大会で障害者の中にセクシャルマイノリティがいることを初めて訴え、ダブルマイノリティという言葉を広めた。
2003年に完全失聴、人工内耳手術を受ける。
2010年風邪が元で重度な炎症を起こし、人工内耳を摘出。
ろうセクシャルマイノリティのための団体「Tokyo Deaf LGBTQ bond」のスタッフであり、レズビアンであることを公開している。活動の一環でわかりやすい日本手話を指導中。